すゞめ

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「あ。ナシだー」

 スーパーに入るなり、彼女は入口付近に設置されている果物コーナーへ駆け寄った。
 そこにはナシだけではなく、クリ、ブドウ、カキ、イチジク、リンゴ……様々な旬の果実が並んでいる。

「ナシ好き?」

 ナシなんかにも負けず劣らず、瑞々しく無垢な瞳を輝かせる彼女に、俺はうなずいた。

「ええ。ひとつ買っていきましょう」
「わーい。オヤツに半分こしよっ」

 ルンルンとうれしそうに彼女はナシをひとつ、買い物かごに入れる。

「おや。間食なんて珍しいですね」
「半分だけだからいーの」

 なるほど、だから俺に食べられるかどうか聞いてきたのか。

   *

 その後。
 滞りなく買い物をすませた俺たちは、買ってきたナシを切り分ける。
 包丁を入れた瞬間、ナシ特有の豊潤さが音にまで伝わってきた。
 水分がたっぷりと含まれているから包丁も滑りやすい。
 果肉を巻き込みすぎないように注意しながら芯と皮を剥いていった。
 シンプルに8等分にカットし終えたあと、皿に乗せてフォークをふたつ用意する。
 つやつやときらめくナシを前に、彼女は目を輝かせた。

「いっただっきまーす」

 声を弾ませて手を合わせる彼女に、自然と息を溢す。
 小さな口にナシを頬張ってシャキシャキとした食感を、幸せそうに表情を緩めて楽しんでいた。

 そんなに好きなら1個といわず2、3個買えばよかったかもしれない。

「たまに食べるからいいの。あんまり買い込んでこないでよ?」
「えっ!?」

 どうやって俺の思考を読んだのか、彼女がじっとりとした目つきで釘を刺した。

「……なんでわかったんですか……」
「変に黙りこくったときは大抵、ろくでもないこと考えてるじゃん」
「ナシを買おうとすることのどこがろくでもないんですか」
「限度があるって言ってんの」

 俺の主張に一切取り合わず、彼女は自分の取り分である最後のナシを頬張った。

「ごちそうさま」

 ごっくんと、かわいらしく嚥下させて彼女は静かにフォークを下す。

「俺の分、ひとつ食べますか?」
「えっ。いいの?」

 今さっき、手を合わせて満足そうにしていたクセに、彼女はいっそう目を輝かせて俺を見つめる。

 ぐっ……。
 まぶしい……!

 夏を越えたから油断していたが、やはり今年こそは度付きのサングラスを用意しておくべきだったか。

 なんとか取り繕って、ナシを刺したフォークを彼女に向けた。

「ええ。どうぞ」
「やった。ありがとう」

 手を伸ばした彼女から、ヒョイっとフォークを遠ざける。

「?」

 きょとんと不思議そうな目で俺を見つめているが、そうではないだろう。

「相変わらず、察しが悪いですね」
「え?」
「食べさせてあげますから、アーンしてください」

 首を傾げる彼女を前に、もう一度フォークを差し出す。

「ウ、ウソでしょう?」

 目を丸くして狼狽える彼女に、俺は肩をすくめて応戦した。

「このくらいで、なに照れてるんですか」
「だって、私たちもういい歳なのに」
「誰も見てませんが?」
「れーじくんが見てる!」
「そりゃあ、俺ですから。あなたの口腔はガン見しますけれども」
「変態っ!」

 声を荒げているが、意外と食い意地の張っている彼女だ。
 俺の発言を意識してか、小さく口を開いてフォークに刺さったナシに齧りつく。
 とはいえひと口が限界か、ぷすぷすと彼女がオーバーフローした。
 ナシを食べているのに、彼女の顔がリンゴみたいに真っ赤に染まる。

「の、残りはそっちが食べて……」

 気恥ずかしそうに俺から目を逸らしたまま、フォークに刺さった食べかけのナシを俺に押しつけた。

「間接チュウですね♡」
「……」

 調子に乗りすぎた俺の言葉に、彼女の熱が一気に引いていく。

「オッサンくさ」
「ちょっと!? さすがにまだ若者でいさせてください!?」

 ツンと顔を背けたあと、彼女は立ち上がって食器を下げ始める。

「あっ!? 洗い物はダメですよ!?」
「ホンット、この時期になると特にやかましいな?」
「俺の気のすむまでハンドケアさせてくれるならお好きにどうぞ」

 ソフトスクラブ、ハンドマスク、ネイルパック、保湿剤、オイル、ハンドクリーム。
 いつでもどこでも俺の心ゆくまで彼女のハンドケアができるように、ケアアイテムは可能な限り多く用意した。

「ダル……」

 ゲンナリと眉を寄せるが、ケアを始めたら始めたでウトウトと船を漕ぎ始めるのが彼女である。
 そんな腑抜けたところもかわいくてしかたがない。

「ダルくないです。秋冬期におけるキッチンアイランドは俺に譲ってくださいって言ってるだけです」
「もー。わかった。わかった。立ち退くついでにちょっと外で走ってくるから、あとよろしく」
「風呂もやっておきますね♡」
「ありがとうー」

 ため息混じりに返事をして、彼女はリビングから出ていった。

 なにかにつけて彼女を甘やかす口実が増える時期である。
 気温も下がり、湿度も乾き、本格的に秋めいてきた。
 俺の幸せ度数がぶち上がる、最高な季節の到来である。


『梨』

10/15/2025, 3:37:54 AM