『夏に恋はしたくはなるけど…。
秋に恋はしたくないのよねぇ〜。』
カラン…。グラスに入っている氷が
まるで、<そうだよね、したくないよね。>って
話しているみたいに、カノジョが持っている
グラスが音を鳴った。
「えっ…?何で?」
ピアノの生演奏が聴けるBARに、たまには
呑みに行かない?と、LINE電話で誘われた私。
特に予定も入っていなかったから二つ返事で応えて
一緒に、此処へ来た。店内の中は薄暗く、奥には小さいステージにスポットライトに照らされた
存在感のあるピアノが一台置いてある。
ソファーもテーブルも、演奏者の事が視えるようにと
ステージの方に向いて設置されていた。
私は、この落ち着いた雰囲気のあるBARには、
初めて来たから物珍しくて、キョロキョロと
店内を見てしまった。
その様子を見ていた、BARのマスター?さんが
クスッと微笑んで、カウンター席を挟んだ
場所から、こう教えてくれた。
《あそこのピアノは、誰でも自由に弾けるように
してあるんですよ。》
その声は、渋く心地良い声。
「誰でも…自由に?」
私達は、誰もいないカウンター席に座りながら
マスターに聞いた。
《えぇ。何でも巷で噂されているらしいのですが…
ここのピアノを弾くと、何年も会えなかった待ち人に会えたとか…。恋が実ったとか…。色々と。わたしも
何年か前に、BARに呑みに来たお客様の話から噂を知ったのです。……実は…このピアノは…今は亡き妻がピアニストでしてね…想い出が多くて捨てられなくて妻と出会う前からわたしは、このBARをやっていたので…
此処に妻のピアノを置いたのです。側にいてくれている様な気がしましてね…。それと…妻は人が弾くピアノの音を聴くのが好きな人でしてね。だからね、わたしは
妻が、このピアノを弾いてくれた人に有難うって
御礼をしてあげているのかな?って。だから、誰でも自由に弾けるようにしてあるのです。》
マスターは、カクテルを作りながら
優しい顔つきだけど、少し寂しそうな瞳で
教えてくれた。
素敵な話だ…。私は、話しを聴きながらこう思った。
しかし…左隣の席に座るカノジョは違ったみたい。
カノジョは、ウイスキーと氷が入ったグラスを握りしめながらワナワナと震えだした。
『夏に恋はしたくなるけど…
秋に恋はしたくないのよね〜。
何でかって言うと〜。付き合っていたカレシが…
実は、ゲイだったのぉぉぉ。家で…イチャコラしていた
最中にワタシが家に帰って来て!それで遭遇して
大喧嘩よ!家庭内戦争勃発よ!!
しかも!相手の名前が!春夏秋冬の〘秋〙に
恋愛の〘恋〙って、書いてシュウですって!
腹が立ったから、名前聞いてやってわ!
もう!その場で荷物を持って、家の鍵をカレシ投げつけて!……あっ。訂正…元ね元カレシに投げつけて
家を出てやったわ!』
………これが、誘ってきた本当の理由か。
私とマスターは、カノジョの勢いに
圧倒と呆気にとられながら話を聞いていた。
《お連れ様…。お酒を飲むと怒り上戸になるタイプ?》
「いいえ…。どちらかと言うと、ご機嫌にお酒を楽しむタイプの方です。こんなに感情むき出しになるのは
珍しいぐらいです。余程…頭にきたのだと思います。」
私達は、カノジョには聞こえないように
コショコショと声を小さくして話をしていた。
一方カノジョは、グイッとグラスのお酒を飲み干すと
同じのを下さい!と、注文をしていた。
腹が立つ〜!と、文句も付け加えて。
この店内の中で、良かったことは私達とマスターだけだった事。それでも大人として、常識として
とりあえず、カノジョを落ち着かせないと…。
どうしようか…?カクテルを一口飲みながら
考えていた時に、ふと背後から気配を感じた。
…?私は、振り返って店内を見回したが誰もいない。
あれ…?誰かいたような…?
私の様子に気がついたマスターが、
《どうしましたか?》と、注文されたお酒をカノジョに渡しながら聞いていた。
お酒を受け取ったカノジョも私の方を見ながら
『…?どうしたの?』と同じ事を聞いてきた。
私は、2人の方に顔を向き直しながら話た。
「…??ねぇ。誰かいた様な気がしたんだけど…」
『えっ!?ナニナニ?…もしかして怖い系?』
お化け系のものが苦手なカノジョは、ヤメて〜!
と、両耳を手で塞いでいた。
その様子を見ていたマスターは、変な事を私に聴いてきた。《どの辺りから??……もしかして……あそこ?》
マスターは、私の後ろに指さした。
私達は、指した方側に顔と身体を向けるとマスターの
指は、ピアノに向けていた。
私が、何かを答えようとする前にマスターは
《妻も…お連れ様の話を聞いていたのでしょうね。
妻わね…ムシャクシャしている時や悲しい時があったら必ずピアノを弾いていたのですよ。だからきっと
今も、ピアノが弾きたいはずです。しかし…残念な事に、わたしは音楽がカラッきし出来ないのですよ》
寂しそうに答えたマスターは、グラスのコップを指紋が残らないように布でピカピカに磨きながら呟いていた。それは、まるで弾きたくても弾けない自分に諦めなさい。と言うきかせているみたいだった。
その話を聞いて、私はコレだ!と感じた。
2人の女性と1人の男性の為に、今
私ができること…してあげられることが1つ有る。
私は、マスターの方に身体を向き直し
アルお願い事をした。
「マスターさん!お願いがあります。私に、
あのピアノを弾かせてください。」
『《えっ?》』
マスターも、カノジョも驚いた声を上げていた。
突然のことで、驚いた2人を他所に私は
返事を待たずに、カウンター席から立ち上がり真っ直ぐにピアノに向かって歩いていった。
カツカツと、私が履いている深紅色のヒールの音がステージ場に響き渡る。
私は、ピアノの前まで来ると履いていた
ヒールを脱ぎ捨てた。大切なピアノに傷をつけたく無かったのが理由だ。
私は、カウンター席にカノジョとマスターに一礼をしてからピアノ椅子に座り、ピアノの鍵盤に触れる。
奥様…。ピアノを弾かせてくださいね
心の中で呟くと
私は、両手を鍵盤の上に置き演奏をし始めた。
曲は、ショパンの雨だれ
何故、この曲にしたかと言うと、店内の壁にはショパン
の曲が額縁に入れてあり飾られていたのだ。
亡き奥様が、一番好きな曲たちなのだろうなと勝手な想像。
ピアノを弾きながら、チラリとマスターの方に目を向けるとマスターは静かに涙をこぼしていたように視えた。
私は、鍵盤に視線を戻し演奏を続けた。
一方カノジョの方は、グラスを片手に
私が演奏する姿を見ながら一口呑んでいた。
そして、顔だけマスターの方に向けてこう言った。
『上手でしょ?あの子…。JAZZBARで
演奏しているプロのピアニストなのよ♪』
「…えっ!?」
『彼女、今…スランプ中?らしくてね。ピアノが
全然弾けないんですって。だから、ワタシがこのBARに連れてきたんです。ワタシの男事件を餌にね。笑
……けど、安心しました。あの子が楽しそうにピアノを弾けているから、きっとスランプも乗り越えられると思います。
あっ……この話は、あの子には秘密ですよ?
恥ずかしいので』
カノジョは、人差し指を立て口元でお静かにのポーズを
していた。
わたしも、同じポーズをし軽くウインクをして返した。
そして二人は、静かに演奏を聴き入っていた。
穏やかな時間の中で…
後日、BARのホームページで不思議な事が起きるBARの名前の由来が書いてあった。《音縁》由来
それは、亡き奥様が考えた
『音』楽で皆の『縁』が繋がり合いますように。
と、願いが込められていたことが判明した。
9/21/2024, 1:36:16 PM