なぜ。どうして。疑問をよく口にする子供だった。
知らないことへの興味が尽きなかった。調べ方をまだ学べていない幼子の頃は、それはもう両親は頭の痛かったことだろう。
自ら辞書を引く、資料を紐解く、インターネットで検索する。身に付けてからは無我夢中で疑問を解消していった。
周りの大人はよく知っているねと褒めたし、疑問を持ち解決することは偉いと称えた。自分のこの『知りたい』衝動は良いものなのだと覚えた。
『なんであんたに教えないといけないの?』
中学生の頃、クラスメイトに言われた。本に載っている知識なら自分で調べるし、最近の流行であればネットで検索しただろう。けれど、クラスメイトが一体何の話題で盛り上がり笑い合っているのか。それは流石に聞かなければわからない。
その回答が「なぜ自分に教える必要があるのか」。
問われたから、素直に何がそれほど面白いのか知りたいからと答えた。こちらはきちんと回答したのだから、こちらの望むものも返してくれるだろうと期待したのに、返って来たのは悪態をつく言葉だけだった。どうして。
その疑問にももちろん答えを貰えることはなかった。
学生時代の苦い思い出を皮切りに、自分のなぜなにに明確な答えを貰えることが減ってきた。
どうしてできないの。なぜミスをしたの。
職場で後輩に問うても、委縮されるばかりで答えは返ってこない。
怒っているわけではない。ただ知りたいだけなのだ。業務内容が難しいのか、作業方法がわからないのか。できないのなら何故そう言わないのか、聞きに来ないのか。
「きみ、あの言い方は流石にまずいよ」
後日、上司と面談になった。あの後輩は体調が優れず数日休んでいる。
「どうして。なにがまずいんでしょう」
だってそうじゃないか。こちらは尋ねただけなのになにがまずいのだ。答えられない、プライベートなことを聞いたわけでもない。ただ、なぜ仕事ができないのか。それを聞いただけなのに。
本気で言っているのかと問われたから、そうだと答えた。それ以外になにがあるのだろう。
「よくわかったよ、手を取らせてすまないね。彼女が復帰したら教育係は別の人に頼むよ。彼女じゃきみの質問に答えられないから」
「あの、なぜですか。なぜ仕事ができないのか、答えられない方がまずいのではないでしょうか」
上司の顔から薄い笑みが消えた。絞り出すように「それはきみが気にすることじゃない」とだけ告げて、会議室から去って行った。
どうして。自分の疑問はもう誰にも聞いて貰えないし、誰にも答えて貰えなかった。
3/6/2025, 8:05:58 AM