買い物から帰ってきたら、同居人の姿が無かった。
荷物を片付け、二階の私室を覗くがそこにも姿は無い。じわりと浮かぶ汗を拭いながら階下に戻り見回すと、裏庭に続くドアが開いていた。
猫の額ほどの小さな庭に、麦わら帽子を被ってしゃがみ込む後ろ姿があった。白いシャツにうっすら汗が滲んでいる。図体のでかい男がいるせいで、ただでさえ狭い庭が余計に狭く見える。
「おい」
「·····あぁ、おかえり」
しゃがんだまま振り返った男は、麦わら帽子のつばをほんの少し持ち上げて微笑んだ。
「不用心だな、鍵が開いていたぞ」
「まだ店を閉めるには早いかなって」
言いながら立ち上がる。男の頬に汗が伝うのを見上げながら、私は持ってきたペットボトルを差し出した。
「ありがとう」
「今日はもう閉めたらどうだ? この暑い日にチョコレートを買いに来る客なんかいないだろう」
「そうしようか」
男が水を流し込む。大きく動く喉元をぼんやり見つめていると、蝉の合唱がシャワーのように降り注いで、頭の奥がぐらついてくる。男の傍らにはむしった草が山になっていた。
「あ」
ペットボトルをこちらに返しながら、男が不意に声を上げた。視線を追うと土の上で蝉が仰向けになって死んでいる。白く変色した腹が、既にだいぶ時間が経っていることを伝えていた。
シャベルを拾い、蝉の死体を片付けようとした私の手を男が止めた。
「いいよ、そのままで」
「·····」
「そのうち蟻が全部食べてくれる」
私達の会話を非難するように、蝉の合唱が大きくなった。
「熱中症になる前に戻るぞ」
「うん」
夏が終わる。
今年は雨が少なかった。
雨の代わりに降り注ぐ蝉時雨が、私達を覆い隠してくれているのかもしれない。
店内に戻ると男は私に麦わら帽子を被せて、不意に唇を重ねてきた。
「なんだ突然」
「なんとなく」
子供のように笑う男に麦わら帽子を突き返すと、彼はそれを被ってふふ、とまた笑った。
END
「麦わら帽子」
8/11/2024, 4:03:38 PM