【神様へ】
満開のポピーが、一面に咲き誇っている。赤、黄色、白、オレンジ……色とりどりの花々の前に膝をつき、ウイスキーのボトルと二つのグラスとをそっと地面に並べた。
『なんだってそんな場所で寝転がってるんですか、貴方』
中学の頃の一つ年下の後輩。クソ生意気で可愛げの欠片もなかったヤツ。卒業してからは交流なんて一切なくなってたのに、ロクでもないヤツらに絡まれて路地裏のゴミ捨て場に転がってたところを、偶然に見下ろされた。
人生の道の全てを踏み外したような俺と違い、真っ当な人生を歩み、俺でも名前くらいは知ってるような有名企業で働いていたソイツは、その日暮らしを繰り返していた俺なんかを何故か拾い、家に置いてくれた。
やれ就職しろ、やれ家事技能を身につけろと、毎日のように注意してくる口煩さに、辟易したことも正直あったけれど。だけど両親にすら見放された俺なんかを、本気で心配して本気で叱ってくれたのは、ソイツだけだった。……世界でおまえ一人だけ、だったんだ。
「なあ。俺、就職先決まったよ」
いつもおまえが晩酌に傾けていたウイスキーを、グラスに注ぎ入れる。おまえが連れてきてくれた花畑。悪い仲間にもう手を引きたいと伝えて、さんざんに殴られて腫れ上がった頬を抱えて明け方に帰った俺の手を引いて、おまえが教えてくれた秘密の場所。
『頑張った貴方にご褒美です。誰にも教えたこと、ないんですから』
柔らかく微笑んで俺の頭を一度だけ撫でたおまえの手の温もりを思い出す。俺なんかに手を差し伸べてくれたおまえは、俺の神様だった。この温もりは永遠に与えられるものだと、信じて疑っていなかった。
おまえがいなくなって、おまえの遺した日記を読んで、初めて知った。正しくて優しくて完璧なおまえにも、人並みの悩みや苦しみがあったこと。おまえも俺と同じ、ただのロクでもない人間でしかなかったこと。それでも真っ当に生きようと必死に努力して、今のおまえがあったこと。
「俺も、頑張るよ」
カンッと高い音を立てて、グラス同士をぶつけ合った。これからの人生への、決意を込めて。……過去の自分への惜別を、溢れんばかりに詰め込んで。
(さようなら、俺の神様だった人。おまえのいない世界を、俺は生きていくよ)
4/14/2023, 1:51:37 PM