何もいらない。
その言葉を口にできる者ほど、幸福な人はいないでしょう。
何をも必要としないのは、自身の中に全てがあると、その人が分かっているからです。
俺たちも、何もいらないと口にします。
けれどそれは、条件付きの「何もいらない」です。
「貴女さえいれば」「他には何もいらない」ということなのですから、先に言ったような「本物の無欲」とは違います。
貴女は、本物の無欲を幾度も体現したことがあります。
俺が生きていた時に出会った貴女も、そうでした。
何を与えられても、何を奪われても、貴女は何も変わらなかった。俺は貴女を収奪する者だったはずなのに、逆にそんな貴女に心を奪われて、気づけば何百年も貴女にすがりついています。
今の貴女は、自分が無欲になれないことに引け目を感じていらっしゃいますね。これだけ恵まれておいて、尚も自らのことにばかり執着するのが許せないと、いつもご自分を責めています。
どうか分かっていただきたいのですが、「無欲である」こと自体は目的ではありません。「貴女が心から満ち足りた」という事実の結果が、「無欲」なのです。
だからご自分が無欲になれないと嘆くことは、貴女を無欲から更に遠ざけてしまうのです。
無欲に至ることができるのは、無上の幸福のひとつでしょう。
けれど、至ることがなくても良いのです。
貴女が満ち足りた生を送ってくれればそれは何よりですが、不満足な貴女でいることも構わないのですよ。
どんな貴女でも、俺たちは愛して見守ります。
だから安心して、好きなような貴女でいてください。
幼子のように全てを欲し、全てを独占し、全てを楽しむ貴女でいていいのです。
貴女の魂を見守ってさえいられれば、俺たちは何もいらないのですから。
4/20/2024, 11:13:57 AM