《愛する、それ故に》
暗い路地に入って少し。表通りの喧騒から距離を置いたところに、一組の男女の姿があった。
男はフードを被っていたが、女は被らず桃色の髪をふわりと揺らしていた。
「……ねぇ、エリオット様」
「はい、なんでしょう?」
彼女の言葉を聞こうと、男——エリオットが身を少し屈める。
「……わたし、」
その言葉の先を紡ぐ前に、彼女の腹から剣先が生えた。
否。無論、金属が唐突に生える訳もなく、背後から刺されたのだ。
「……! 何者だ!」
エリオットが誰何したが、黙したままの襲撃者は剣を更に深く刺し込む。
襲撃者はフードを深く被っていて顔は見えないが、手を見るに男のようだ。
完全に剣の間合いだ、エリオットは迂闊に動けない。
その傍らで吐血したかと思えば血潮を撒き散らして、甘ったるい笑みを貼り付けた女の体は地に伏した。
頬が泥に塗れてから、彼女は漸く悲鳴を上げた。
エリオットは、襲撃者の剣の柄を見て硬直する。正しくは、そこに在ってはならないの紋章から目が離せなくなったのだ。
襲撃者は耳降りな音を止めるべく、剣を彼女の首に落とす。
「……は……な、にを……して……」
呆然としたまま零れた困惑は、はたして、
「見てわかるだろう? 女を一人、殺しただけだ」
襲撃者の口を開かせるに至った。
襲撃者は剣を振って血を払い、鞘に納める。その一連の仕草は優雅で、とても人を一人殺した後とは思えない。
「——っ、なぜ貴方がこんなことを!」
エリオットが食って掛かった拍子にフードが捲れ、襲撃者の顔が露わになる。
金の髪に翡翠の瞳。整った顔立ちの、美しい男。
一度見れば忘れる筈もない、この容貌を持ち得ているのはただ一人。
「理由など、言わずともわかっている筈だ。エリオット」
エリオットが友と思い、また、主と仰ぐ人物。
「……どうしてですか、ルイ……!」
ルートヴィヒ。この国の王太子殿下、その人である。
彼が自ら殺人を犯すことの意味を知らない筈がないのに、なぜ事を起こしたのかとエリオットは混乱する。しかし、市井であるからと王太子を愛称で呼んだ辺り、彼は理性を失っていないだろう。
「……俺はお前に、理由を教えるつもりはない。だが、王家の者として剣を振ったからには、それ相応の大義のうえであることは……説明するまでもないか」
「……そうまでする理由が、あったと?」
「ああ、そうなるな」
淡々と告げるルートヴィヒを見て、エリオットは悟る。これは、ただの友人でもなく公爵子息たる己であっても立ち入れない物事なのだ、と。
そうは言っても、彼が目の前で少女を殺めたことの免罪符にはなりはしないと、そう思った。
「……ルイ、貴方は——」
「エリオット=フォン=アンティール。次期宰相たる貴殿の勤めを果たせ。これからも、な」
「…………はい」
だが、エリオットとて公爵家嫡男。
家名を出してまで制されては、閉口する他なかった。
「これは私兵に片付けさせる。……くれぐれも、一人で街に遊びに来たことを忘れるなよ」
「……そのように」
一言ことわって、エリオットは路地を出て行った。
納得がいかないのだろう、随分と剣呑な雰囲気を漂わせていたがあれで街を歩けるだろうか。
返り血の付いた上着を脱ぎ捨て、ルートヴィヒも場を去る。友とは反対に、路地の深くまで進む。
「…………これで満足か、性悪女」
誰もいない路地で独り言を呟くと、
「……ありがとうございますルートヴィヒ殿下ぁあああああああ!」
先程ルートヴィヒが刺し殺した女が、文字通り突っ込んで来た。
「……人気が少ないからと言って、俺の名前を叫ぶな! ……本当にあれが正解なのか?」
「はい、もちろん! 名演技、ありがとうございました!! 歓喜の極です!」
「何を言ってるんだ君は。おかげで俺はエリオットに口も聞いて貰えないだろうな、今後!」
「そのおかげで彼の命が助かりますよ殿下!」
そう。これは幻覚魔法を有した少女と、悪役に任命された王太子殿下の共犯で行われた事件だ。
エリオットの為に、と頼み込まれたのだ。
「……本当に、そのシナリオ? を回避してイベント? をなんとかできたんだろうな……」
「絶対大丈夫です! エリオット様は無事です! これでフラグが折れたので!」
「……もし失敗していたらそのときは、本番だからな……?」
「えっ、怖いこと言わないで下さい! でも、大丈夫です! 多分! 絶対!」
「どっちだよ……」
呆れたルートヴィヒは、思わず天を仰いだ。
転生ヒロインと、それを知ってしまった王太子。
最推し? というエリオットの命を救うべく。
大切な友人が死ぬフラグ? を回避すべく。
学園で出会った二人が、シナリオを改変していくのは——これが序章である。
10/9/2025, 10:27:40 AM