「ねえ、大丈夫?」
クラスメイトの椅子を拝借して、机に突っ伏している幼馴染みのつむじを見下ろす。移動教室から戻ってきてからというもの、彼女はずっとこの調子で凹んでいる。
理由はひとつ。先輩が彼女と思しき女子生徒とキスをする瞬間を目撃してしまったから。まるでドラマみたいなワンシーンを、こんな身近で目の当たりにするとは思わなかった。
正直、彼女が先輩を好きな理由が分からない。確かに綺麗な顔だと思うし、ひときわ目立つ雰囲気もある。けど、恋人は取っ替え引っ替えだと聞くし、良い噂なんて聞いたこともない。
それでも彼女はショックだったらしい。この世の終わりみたいな顔で、魂の抜け落ちた屍と化している。事情を知らない友達も声をかけてくれたけど、当の本人は答える気力すらないようで、代わりに私が「大丈夫」と答えておいた。
「全然大丈夫じゃないのに……」
「じゃあ、言ってもよかったの?」
「よくなーい!」
両手を高く突き上げて絶叫しながら勢いよく起きる。そのせいで教室にいたクラスメイトが肩を跳ね上げたし、開いてるドアから様子を窺う生徒と目が合ってしまった。
人の色恋沙汰に首を突っ込むほど野暮じゃないし、冗談のつもりだったんだけど、どうやら怒らせてしまったらしい。彼女は頬杖をついて唇を尖らせている。
「ていうか、なんであんたは平然としてるわけ?」
「なんでって……私は別に、あの人に興味ないし」
「まずそこから信じらんない。たとえ好みじゃなくてもさ、あんなシーン見せつけられたら、ぎゃあってなるじゃん!?」
「へえ」
賛同を得られなかった彼女は、再び顔を伏せてもごもご言い出した。そんなに落ち込むことなのかねぇと半ば呆れて、なんとはなしに視線を廊下に投げる。
そこに、涼やかな顔で通り過ぎる先輩の姿があって目を開く。視線に気づいた彼の黒目がするりと滑り、しっかりと私を捉えて微笑んだ。
「……ちょっと、聞いてる?」
「え! あ、うん!」
「いや挙動不審か。なに、誰かいたの?」
ふてくされたような顔をしたまま彼女が廊下を見る。すでに先輩は通り過ぎていて、何事もなかったかのように賑やかなざわめきがあるだけだ。
訝しげに眉をひそめて顔を戻した彼女が、今度はびっくりした顔で身を乗り出してくる。
「え、なんか顔赤くない?」
「なんでもない」
「なになになに。ついに先輩の魅力に気づいちゃった感じ!?」
「そんなんじゃない!」
「照れんなって〜。先輩は来る者拒まずって話だし、チャンスあるかもよ〜? お互いがんばろーね~」
「断じて違う!」
からかい混じりの言葉を強く否定する。もうすぐ授業が始まるからと立ち上がり、振り払うように自分の席に戻る。
開いた窓から吹き込む風がカーテンを大きくはためかせた。
あのとき見たワンシーンの後には続きがある。
照れたようにカーテンから出ていく彼女を愛おしげに見送った先輩は、不意にこちらに目を向けた。なんだか悪いことをしたような気がして心臓がはねた。
視線を遮るようにカーテンを広げるその一瞬──長い指を唇に押し当てて、こちらに目配せをしたあの人は、いたずらっ子のような顔で笑っていた。
あんなに幸せそうに微笑む人が、他の誰かに現を抜かすとは思えない。失恋が確定しているのに、絶対好きになんてならないし、チャンスなんてあってたまるもんか。
バタバタとうるさい白いカーテンを、八つ当たりのようにタッセルで固定してやった。
10/12/2023, 3:44:33 AM