「ワンツーワンツー――キャッ」
私はゴテンと音を立てて転ぶ。
その様子を周囲の人間が見下すように笑う。
馬鹿にしやがって。
おまえたちだって、ヘタクソな時期があっただろうに。
社交ダンス教室に通ってはや半年、私は未だに初心者マークを外せそうにない。
テレビで見た光景に憧れて始めた社交ダンスだけど、上達する兆し無し。
馬鹿にされた悔しさをバネに続けてきたけど、精神的につらい……
もう辞めようかな。
私が立ち上がろうとすると、目の前に手が差し伸べられる。
「村田さん、今日もよく転んでいるね」
そう言ったのはこの教室では古株の小林さん。
皆に一目置かれているけど、お世辞にもうまい方じゃない。
レッスン中、何度も転ぶところを見たことがある。
だからこうして手を差し出すのは、他人と思えないからなのだろう。
けれど――
「ヘタクソなもんで」
私は差し出された手を無視して、一人で立ち上がる。
小林さんには悪いけど、私にも意地ってもんがある。
情けなんていらない。
「そんなに無愛想だと、いつまでも経ってもうまくならないよ」
小林さんのもの物言いにカチンと来てしまう。
自分が悪くても、指摘されたら嫌な事はある。
私は睨み返すが、小林さんは困ったように笑うだけだった。
「うーん、荒れてるねえ。
行き詰まっているのかな?」
「悪いですか?」
私が悪いに決まってる。
小林さんは何一つ悪くないのに、一方的に敵視しているんだから。
自分の器の小ささに、自己嫌悪で頭が痛くなりそうだ。
「ふむ、じゃあ僕と一緒に踊ってみようか?」
「はい?」
小林さんの言葉に耳を疑う。
『踊ってみようか?』
今の流れでなんでそうなるの?
私、聞き間違えた?
「えっと、今なんて?」
「一人で練習ばかりしてないで、たまにはペアで踊るべきだ――と言ったんだ」
聞き間違いじゃなかった。
でも私はその申し出を受けるわけにはいかない。
「私、一人でも転んでばかりなので、ペアはまだ早いですよ……」
「問題ないさ。
半年やって来たんだろう」
そう言うと、小林さんは私の手を強引に取り、リズムを取り始める。
「ほら動いて。
ワン、ツー、ワン、ツー」
「わ、ワン、ツー、ワン、ツー」
小林さんに促されるまま、私もリズムを取って踊り始める。
「ワン、ツー、ワン、ツー」
「ワン、ツー、ワン、ツー」
小林さんはゆっくりとリズムを取る。
だが私にとって、そのスピードすら速すぎる。
私はついていくだけで精一杯だった。
「君は一人で踊りすぎだね。
もっとパートナーのことを意識して」
「む無理。
自分の事で精一杯。
他人を気遣う余裕なんて――キャッ」
私は自分の足に足を引っかけ、再びゴテンと音を立てて転ぶ――事はなかった。
小林さんが、私が転ぶ方向に素早く移動して、うまくバランスを取ったのだ。
結果、私は転ぶことなく、まだ小林さんと踊っている。
「大丈夫かい?」
「は、はい」
「じゃあ切り替えて、ワン、ツー、ワン、ツー」
「ワン、ツー、ワン、ツー」
私はパニックになりそうな頭を落ち着かせ、小林さんとリズムを取る。
この私が転ばなかったなんて……
私は小林さんに感謝するとともに、一種の感激すら覚えていた。
私はすぐ転ぶ。
一人で練習した時も、こんなに長く立っていられたことはない。
その後も何度も姿勢が崩れそうになったが、その度に小林さんがフォローしてくれた。
これがペア……
ああ、楽しい。
社交ダンスってこんなに楽しいものだったんだ。
「これがペアだよ」
小林さんは、私の心を見透かしたように話しかけてくる。
「君が転びそうになっても、僕がフォローする」
先程とは違い、小林さんの言葉が心にスッと入ってくる。
「完璧な人間なんていない。
だからこうして助け合うんだよ」
「でも私、ヘタクソだから、助けることなんて」
「大丈夫さ。
そのうち助けてくれれば――
おっと」
小林さんがバランスを崩しそうになったのを見て、私は自然に重心を移動させていた。
その甲斐あって、小林さんは転ぶことなく体勢を立て直す。
「早速助けてもらったね」
「ペアですので」
そして私たちはしばらくの間、踊り続けた。
その後も転びそうになったけど、その都度お互いが助け合う。
私たちは完璧じゃない。
だからお互いに手を取り合って、助け合う。
私はまだ手を取ってもらえなければ踊れない未熟者だけど、いつか手を取り合って踊れる日が来るのだろうか?
そんな日を夢見て、私はもう少しだけ社交ダンスを続けようと思ったのだった。
7/15/2024, 11:09:29 AM