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理想の自分など特に考えてはいない。理想ではなく、一つの目標を立ててそれを実現する、ということを今でしてきた。宇宙飛行士になるとか、突拍子もない実現不可能なことではなく、物理的にできることで、努力すれば達成できるような目標。
きっと私にとっての理想とは、永遠に手が届かないものなのだ。少し頑張って、これができた。じゃあ次はこれを頑張るというように。100パーセントの力で頑張ると息切れするので、ほどほどの力で常に目標を目指し続ける。
あと三十年くらい?人生が終わるときに振り返って達成できたこと、できなかったこと、すべてひっくるめて、面白かったと笑って旅立てたら、それが理想かも知れない。
今まで実現したささやかな目標をいくつか。
着物を自分で着られるようになること。着付け教室に通って一つ達成。一筋縄ではなかったのだが、ともかくも着られるようにはなった。
着物を着て電車に乗ること。これも達成。でも、一人で着られるようになっても、電車に乗って出かけるのは、また別な難しさがある。着物を着るのは技術、着て出かけるのは勇気なのだ。
歌舞伎を観る。最初は友人がお膳立てしてくれて行けた。その後、自分でチケットを取って一人で行くようになって達成。歌舞伎座はチケットも敷居も高いので、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室などで勉強しつつ、歌舞伎座に着物で行くことを次の目標に。
着物を着て歌舞伎座に行く。最初はお正月に娘と二人で着物で行ったが、これはカウントしない。一人で行かなきゃ意味がない。でも歌舞伎座に行く前に美術館や食事など着物で出かけることに抵抗がなくなったら、あっさり実現した。今では歌舞伎座ではなくとも歌舞伎を観に行くときは、ほぼ着物で行く。真夏でも真冬でも四季を通して行く。
着物を着ることが普通になっても、やっぱり着物を着て歌舞伎座に行くのは特別なことで、劇場に入ると高揚感があり、非日常をとことん楽しむ。
着物を着るようになると、着物が欲しくなるものだ。なかでも大島紬は着物好きなら誰でも一枚は持っているのではなかろうか。昨年、母が亡くなり母の大島紬をもらい受けた。サイズも直す必要がなくぴったりであった。次の目標は母の大島紬で外出することかな。
現在、父の介護のため自宅を離れ実家暮らしをしている。物理的にできることが限られ、仕事も辞めてしまったので自由に使えるお金もない。
それでもできることは何か?小説を書くことを思いついた。三月までに二つ書き、どうせならお金になればと文学賞に応募した。今三作目を書いている。単なる脳内妄想である。さすがに三作目ともなれば自分の書くものがワンパターンであることに気づく。母の着物で出かけるのとは別に、ワンパターン脱却を次の目標にしよう。これは手強そうだ。

5/20/2024, 11:36:35 AM