青と紫

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遊女である私が、彼と普通の恋をしたのは奇跡だった

だろうか。

私がいるのはとても自由な店で、花魁はお忍びで町に

出てもいいことになっている。

私はそれを利用して、息抜きに、よく町に遊びに行って

いた。まだ新人だったので、年上の花魁は多めに見てく

れていた。

そんなある日、彼に出会った。外の町をよく知らなく

て、ガラの悪い男に絡まれたのを助けてもらったのだ。

高そうな着物を着て、とっても整った顔をした彼は、

ここ一帯の領主の息子だった。宗正といった。

私は名前を聞かれて、とっさに朝子と名乗った。芸名を

少しもじった偽名だった。彼と私はあっという間に

仲良くなり、度々外で会うようになった。姉貴分の花魁

は、少しおしゃれをして出かける私を不審に思っていた

はずだけど、何も言わなかった。

彼と会うときは必ず茶屋だった。遊女の私達と同じで、

領主の長男である彼もまた窮屈な生活を送っていた。

彼は会うたびにこんな生活はもう嫌だだとか、重圧に耐

えきれないかもと言うくせに、最後には領主としての

心構えとか、領地の管理方法について目を輝かせて話し

ているのだった。私は遊郭に来る欲望にまみれた男達と

違って、一生懸命で、責任感があって、将来の希望に溢

れている彼をいつの間にか好きになっていた。

私も、彼が私を憎からぬ思っていたのを感じていた。


だけど、私達のささやかな恋はいくつもの障害に阻まれ

ていた。

まず、私が若い遊女であったこと。まだ借金が多く残っ

ていて、さらに花魁である私は身請け金がとても高い。

とはいえ、領主の息子である彼には問題ないくらいの

額であった。けれど、次期領主だからこそ、格が釣り合

わず、周りの人達に反対されるのは目に見えていた。

彼には許嫁もいた。

2つ目は、彼が色を売る商売を毛嫌いしていたこと。

彼は遊女が大嫌いだった。色を売るなど下品なことを

するくらいなら死ぬと、本気で考えている節もあった。

一度など、私が遊郭のある方から来ると、あそこには立

ち寄らない方がいい、下賤の空気に染まってしまうぞ、

と言われたこともある。

私はそんな彼に遊女であることはとてもじゃないけど

言う気になれなかった。

3つ目は花魁には普通の恋が許されないこと。

店の花形である花魁は、普通の恋などただの醜聞だっ

た。それだけで女の価値が下がり、買値も下がってしま

う。そのため、店側は花魁の生活を厳しく管理するの

だ。

それらの歪みから目を背け、私は町娘としてかれに会い

続けていた。彼からは結婚の話が出ることもあった。

たとえ身分の差があっても、結婚しようと。私はやはり

言えなかった。頬を染めて力説する彼にいつも言葉は

口の中でしぼんでしまった。

だが、二重生活はそう長くは続かなかった。

あまりにも出かける頻度が多いものだから、とうとう店

側が気づいたのだ。

いつものように二人で茶屋でお団子を食べていたら

体が山のように大きい男がやってきた。

男は、私の店、天津屋の用心棒だった。男は私の着物の

襟を掴み、肩に抱えた。体が浮く感覚と物のように扱わ

れた怖さで涙が出た。上から見た彼はなんだか、小さく

頼りなく見えた。

「おい、それは私の連れだ!手を離せ!」

彼は私のために叫んでくれた。自分より倍の大きさのあ

る男に果敢に挑んだ。

「何を言っている。これは花魁だ。規則破りの遊女だ」

用心棒が言ってしまった。

「遊女…?朝子は普通の女のはず…」

彼は私の顔で分かってしまったようだった。

「そんな…!」

彼はこの世の終わりのような顔をしていた。

何しろこれまで町娘として接した女が、遊女だったの

だ。

彼は担がれていく私を呆然と見ていた。

最後の希望を託して私は叫んだ。

「ごめんなさい!私はあけぼの!もう一度会ってくれる

のなら、どうか天津屋へ!」

彼の返事は聞こえなかったけど、私は泣きながらただ叫

んだ。

声が枯れるまで叫んだ。


遊女として、生涯最愛の男に最後の告白を。







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彼は七年経った今も会いに来ていない。当時18歳だった

私ももう25歳だ。そろそろ身請けを考える頃である。

叶わない夢と知っているけど、

私は彼に迎えに来てほしい。

遊女の私が普通の恋をした奇跡みたいなあの頃。



お願い、叶うならば私に奇跡をもう一度。

奇跡のような、普通の恋をもう一度。


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奇跡をもう一度

「あけぼのの恋」

10/3/2023, 10:49:20 AM