「お久しぶりですね」
その声に振り向けば老婆が一人立っていた。
顔も手も皺くちゃで、だけど背筋はしゃんとしていて、どこかに懐かしい面影のある老婆だった。
「はて、どこかで会いましたかね?」
首を傾げれば、老婆は小さな目をほんの少し伏せるが、すぐに前を向いてにこりと愛想良く笑った。
「あら、私の勘違いだったかしら」
ごめんなさいね、と笑う老婆に私はいえいえそんな、と両手を前で振る。もしかしたらどこかで彼女と会ったことがあるのかもしれない。最近、私はどうも忘れっぽいからその可能性が高いから。
それを伝えれば、老婆はあら、そうなんですか、と言葉に心配を滲ませながら返してくれた。
「失礼ですが、私は貴方と会ったことがありますか?」
「ええ、ありますよ。何度も隣を通っているのよ貴方。でも貴方はとっても足が速いから、声をかける前にいなくなっちゃって」
「あはは、申し訳ない」
居心地が悪くなり、気を逸らすために頭を掻く。老婆はそんな私を気にすることなく話を続けた。
「挨拶したり、一言二言会話したこともあるけれど、貴方はすぐいなくなっちゃいましたからね。私も忘れるのも無理ないわ」
「それでも、忘れてしまったのは申し訳ない」
「あら、じゃあひとつだけお詫びをしてくださる?」
悪戯っ子のように老婆は笑って提案してきた。
「どういったことでしょう?私にできるなら」
「そうね」
老婆が近づく。ゆっくり。ゆっくり。
私は動かずじっと老婆を待った。
そして、老婆は私の目の前まで来て言ってきた。
「私を抱きしめてくださる?きっと最期だから」
最期の言葉が少しだけ引っ掛かるが、老婆の言葉に私は頷いて目の前の彼女を抱きしめた。
ほんの少しふくよかで随分と背の低い老婆は、抱きしめるととても柔らかくて温かい。
ああ、なぜだろう。
眠くなってきた。
うつらうつらする私を老婆がぎゅっと抱きしめ返す。
「お疲れ様です、あなた。一緒に休みましょう」
老婆の優しい言葉に応えて、私はゆっくり目を閉じた。
最後に、どこかで古惚けた大きな音が聞こえた気がした。
ボーン。ボーン。ボーン。ボーン。。。
2/6/2024, 4:51:32 PM