善次

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春爛漫

「キエエエッ! キエエエッ!」
 柴田は教室に入ってくるなり奇声をあげ、川崎に蹴りを入れた。柴田の机に腰かけて談笑していた川崎はというと、まともに蹴りを食らい机と椅子をなぎ倒して床に転がる。女子たちの悲鳴が廊下まで響いた。
「キエエエッ! キャッキャッキャッアー! キエエエッ!」
「アァアーッ! アァアーッ!」
 すぐさま態勢を整えた川崎が柴田に掴みかかった。長い腕で柴田の胸ぐらをつかみ、小さな柴田の体を放り投げた。勢いよく壁に叩きつけられた柴田が痛みに悲鳴をあげ、両手両足を使って脱兎のごとく逃げ出した。
 縄張り争いに勝利した川崎が両腕を振り上げ「キーッ!」と雄叫びをあげた。周りの腰巾着たちもキィキィと一緒になって騒ぎ、一帯が祭りの場と化す。
 その様子を友香は教室の隅で見ていた。猿たちの狂騒はいまに始まったことではなく、日常茶飯事であったし、友達の麻衣も冷めた目で猿たちを見ていた。
「ホーホケキョ! ケキョケキョケキョ!」
「だよね」
 麻衣がせわしくグルーミングを行いながら猿たちへ文句を言った。友香はまったく麻衣の言う通りだと思い、いつまで経っても成長のない猿たちに苛立ちをおぼえる。もう三年生にもなるというのに猿たちは毎日毎日マウンティングしてばかりだし、ひたすらにやかましい。食い散らかした果物で床を汚すから虫がわいて不潔になった。それを掃除するのは清掃委員の友香で、先生に抗議したこともあったが聞き入れてもらえなかった。
 連中のリンゴに毒でも仕込んでやろうか――ハブの守口をちらりと盗み見る。守口は日向にある机の上でうとうととまどろんでいた。冷淡な態度の守口に頼み事をするのは億劫で、友香はため息をつく。
「カァーッ! カァーッ! カァーッ!」
 騒ぎを聞きつけた担任の木下がめんどくさそうに翼をばたつかせながらやってきて、川崎と柴田に机を元通りにするよう叫んだ。猿ふたりはそれぞれ相手に責任をなすりつけあっていたが、木下に尻を突かれると渋々机を並べ出した。
 ――あたしの青春ってホント、灰色だわ。
 友香は爪も羽根もないやわらかな人類の手で己の顔を触る。脆弱で毛皮もない貧相な体では彼氏もできず、麻衣の彼氏自慢にうんざりしながらも頷くことしかできない。
 ホームルームが始まる。木下が出席番号順に点呼をとり、友香もまた返事をする。毎日つまらない日常の繰り返し。ゆううつなルーチンを繰り返して貴重な青春が終わっていく。
「ガー、カー、カー、コーアッ! コーアッ!」
 ほう、転校生――教室が色めき立つ。
 三年生にもなって転校とはめずらしい。家の事情か、はたまたいじめられて追い出されたか。麻衣のさえずりに友香も頬が緩む。
「ナァーオ」
 転校生は黒く艷やかな毛皮をした猫だった。気品あるしぐさでするりと教室に入ってくると、黒板の前にしゃなりと座り、自己紹介をする。ンニャーオ。
 そのきれいな緑の瞳といったら!
 友香はしばし転校生の美しさに見惚れ、彼がなぜ転校してきたのかを右から左に聞き流した。するすると音もなく机の合間を縫って歩き、友香の斜め前の席についた転校生の背をぼうっと見つめる。四月の朝の日差しが転校生の毛皮を縁取り、金のヴェールがうっすら彼を覆っているようだった。
 ――あたしの春、きたかも!
 友香の机に桜の花びらが落ちる。まぶしいほどの陽を受けて机たちが輝き、学校は春色に染まっていく。
 新学期だった。

4/10/2024, 1:29:59 PM