「美しい」
ほらお話の時間だよ。みんな集まりなさい。
今日は何のお話にしようかね。
コラ坊主。お主その石、祭壇から盗んだものだろう。すぐに返してきなさい。
え?綺麗だから持っておきたい?馬鹿者が。
美しさに目が眩むと痛い目にあうぞ。
ほらさっさと返してこんか。
…まったく。もっと厳しく躾をしたほうがいいね、あの坊主は。
じゃあ今日は美しい石の話をしようかね。
こら、そこ静かにしな。村のおばあの話はちゃんと聞くもんだ。それがどれほどつまらない話であってもね。
その石は海の王ポセイドンが座った岩から欠けたものだと言われている。それが巡り巡って、ある貴婦人の元に辿り着いたのさ。
その海辺の街一番の金持ちと言われていたその夫人は美しいものが大好きだった。美しい服、美しい宝飾品、美しい召使、美しい家具といったように自分の周りを美しいもので囲んでいないと気が済まなかった。もちろん堂々とそんな暮らしをしていたら悪い奴らに目をつけられる。ある朝、主人が夫人の部屋に入るとそこには無惨に殺された遺体があったのさ。顔も潰され、腸が飛び出るほどざっくりと体を引き裂かれていたが、着ているドレスやバラバラになった指に嵌められていた宝石から夫人だと判明した。盗まれたのはただ一つ。ポセイドンの石だ。
もっと価値の高い宝石やドレスもあったのに盗まれたのはそれだけだ。ショックを受けた主人は犯人を捕まえるよう街中に御触れを出した。
しかし何年、何十年経っても犯人はおろか、ポセイドンの石も見つからなかったんだよ。
それからその家は惨殺事件の起こった家として落ちぶれてしまった。夫人は色々な噂があったから、街の人々から好かれてはいなかったけれど、息子は別でね。心の優しい青年だった。でも一家が落ちぶれてしまってから、行方不明になってしまったのさ。
しかしある時、悲しい事実が判明したんだ。
何だと思う?
あ、こら坊主、まだ返してきてないのかい?まったく悪ガキだねえ。
ほらこっちへ寄越しな。あとでおばあからこっそり返しておくから。
え?あ、そうそう話の続きだね。
ある日、夫人が殺されてからおよそ40年ほど経った頃だよ。石が見つかったんだ。見つけたのはなんの因果か、夫人の息子。
国一番の都の市場で婚約者への指輪を探していたら、偶然見つけてしまったんだよ。
その息子は可哀想な子でね、美しくないという理由で夫人に虐待されていた上に、その虐殺事件のせいで家が落ちぶれてしまったものだから、海辺の修道院に預けられていたんだ。そして美しい漁師の娘と恋に落ち、婚約したんだよ。
息子はその石が夫人の殺された原因だと知らず恋人にプレゼントしてしまった。
するとその娘は石を見るなりこう言って泣き崩れた。
「なぜ私の罪を知っているのですか?」
元々彼女は人魚でね、ポセイドンの石は彼女が人間から人魚に戻るときに必要なものだったんだ。それを美しい物好きの夫人の目に留まり無理矢理奪われてしまった。海に帰れなくなった人魚は漁師の養女となって生きていた。しかし毎日故郷の海を眺めて泣く彼女を見かねた漁師は夫人から石を奪い返すことにしたのさ。
しかし奪い返したその石の美しいこと。人魚が住み着いて家計が逼迫していた漁師は石を売り払ってしまったのさ。
人魚が全てを知ったのは漁師が死ぬ間際のことさ。もうそのときにはどうしようもない。すべては自分が人間界に石を持ち込んでしまったから起きたこと。
そうして彼女は石を持って海に帰ってしまったのさ。
その後の青年がどうなったか誰も知らない。
え?ああ、そうだよ。ポセイドンの石は無事人魚の世界に戻ってきたのさ。
しかしまあ、いわくつきの石をおもちゃにするとは血は争えないね。
いいかいみんな。我々が人間になるのか禁忌とされているのはこういう話があるからだ。そして決してこの世界のものを人間界に持ちこんではいけないんだ。
よく覚えておくんだよ。
6/11/2025, 9:26:26 AM