ミヤ

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"やさしくしないで"

寝たふりをして暫く、祖母が部屋を出ていったことを確認して目を開けた。
真っ暗な天井を見上げ、いつかの彼女の姿を思い出す。
思うのは、ひとつだけ。
どうして、僕も一緒に連れて行ってくれなかったのですか。
あなたが望んでくれたなら。
きっと僕は一も二もなく頷いただろう。
あなたと一緒に
あなたを世界の全てとしてあの部屋で終われたのに。

ぎゅっと目を閉じる。
最後に呼ばれた名前は、僕のものではなかった。
あぁ、きっと。彼女が本当に傍にいて欲しかったのはその男で。僕では代わりにもなれなかった。引き留める存在にはなれず、道連れにする価値もない、ただの人形、ただの愛玩動物でしかなかったんだろう。
そう思うと、水の中にいるように呼吸ができなくなって、

目を開ける。
気がついたら枕元に出ていったはずの祖母がいて、虚ろな眼差しで僕を見下ろしていた。

ねぇ、わたし、考えたの。
誰が一番悪かったんだろうって。
あの子は優しい子で、ちょっと怖がりで、泣き虫さんで…、こんなに意地を張るような子じゃなかったの。

家を出る直前、最後にあの子の姿を見た時。
あの子、ずっとお腹をさすってた。
あの時もう、あなたがいたんだわ。

ゆっくりと、細い指が首に絡みつく。

お前さえ、生まれてなかったら。
あの子はきっと、この家に帰ってこられた。
あの人もあの子を許して、もとの家族に戻れたのに。

ねぇ、返してよ。

歪んだ壊れた笑みを浮かべて、けれど自分が涙を流していることには気付いていたのだろうか。どうしようもなく、祖母は家族を愛した人間で。そんな人間が、こんな不気味でどうでもいい空っぽな子供のために罪に問われるのは可哀想だなぁ、と思った。

少しずつ込められていく力と、徐々に狭まっていく気道。このまま息ができなくなって死んでもいいと心は思うのに、手足だけがバタバタと見苦しく動き回る。
苦しくて、苦しくて。
勝手に歪んでいく視界に、溺れているようだと思った。真っ暗な水底に沈んでいくような、どうしようもない感覚。もがく身体の自由が奪われていき、口から漏れる音が言葉を成さずに消えていく。

ふいに、圧迫から解放されて息ができるようになった。何度も咳込み、滲む視界で、ごめんなさいごめんなさいとうずくまって泣く祖母をぼんやり眺める。
狂い切って壊れることも出来ず、その姿はただひたすらに哀れだった。

次の日の朝、祖母は何事も無かったかのような顔をして、子供はしっかり食べないとね、とご飯を山盛りよそってくれた。
僕も昨夜のことには何も触れず、ありがとうございます、とお茶碗を受け取った。
それだけの話。


あれから時が過ぎた。
鏡に映る自分の首には、もう随分と薄くなったがその時の痣が今も残っている。
時々、指でなぞって考える。 
虐待されるのも目の前で死なれるのも殺されかけるのも。きっと、ありふれた話だ。
ただ人が生きて死ぬだけの話。
そう思わないとやってられない。

やさしくしないで。
僕にはそれを受け取るだけの価値がないから。
僕がそう言うと、貴女は泣いた。
君は馬鹿だと、何度も何度も繰り返して。

2/3/2025, 2:40:48 PM