薄墨

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「ここに未来なんかはない。あるのは過去と今だけだ」
壁に付いたモニターに目を向けたまま、男はそう言った。

蛍光灯がブゥンと唸った。
冷たい白い光が、部屋を満たしている。

「この世界線には保証された時間はない。保証された時間がない以上、先の時間を確約できないこの現状において、未来は存在しない」
「私たちには、未来などない。ただ、今を長引かせることができるだけだ」

男は、そう語りながら、メモを続けた。
壁にかかったモニターは、複数人のバイタル情報を規則正しく表示していた。

「では、私はなにをすれば良いのでしょうか?」
私の言葉に、男はこちらを向いて短く答える。
「今を守ってくれ」

「今…」
私が呟くと、男は頷く。
コポッと、どこからか水泡の音が湧いて消えていった。

「私は今を守るために生まれたのですか?」
私の問いに、男は簡潔に、そっけなく答える。
「そうだ」

男はゆっくりと移動し、中央のパソコンを立ち上げる。
パソコンの奥に備えられた大きなモニターが、起動する。
微かな熱が、モニターを包む。

「…では、私の名前はなんなのですか?」
私は、震える声で問うたはずだった。この時くらい、私は感情的になりたかった!
…だが、私の声は、主観的に聞いても硬くて事務的だった。

それでも男は、刹那、痛そうに顔を歪め、それから硬い表情のまま、弱い小さな声で呟いた。
「…未来だ」

「貴方が諦めては、私の名前はどうなりますか?」
怒りを込めたつもりの、温度のない私の声が虚に響く。
その虚しい沈黙を止めたくて、私は更に言葉を継いだ。
「私は…私は何物なんですか?いや…何物と定義されるのですか?」
勢いよく怒鳴ったはずのその声は、やはり、無機質な機会音声だった。

「…私は、未来を守るためのアンドロイドで……この世界に平和を、感情を、未来を、救いを……歌を、届けるための物ではなかったのですか?」
私の嘆願には、何の感情も感じられなかった。

「すまない…遅すぎたんだ」
震える声で、男は_マスターは、答える。

どうしようもないことは私にも分かっている。
太陽は突如として宇宙の未知の物体、ブラックホールに飲み込まれ、太陽の昇らなくなった地球は、急激に温度を失った。
今や世界は凍りついている。
このシェルターと、いくつかの耐寒シェルター内のコミュニティしか、もはや機能していない。

私が生まれた世界は、そういう世界だった。
もはや未来などない、今だけを必死に繋いでいく、この世界だった。

これから私は、今を引き延ばして生きていくのだろう。
人々の今を長引かせるために、いろいろな労働に従事し、病気を治し、この今の歯車の一部として、労働アンドロイドとして、生きていくのだろう。

ああ、せめて未来のある世界線で。
未来のある世界では、私は歌えていますように。

私は無機質な天井を見上げる。
冷たい蛍光灯の光が、ジジッと音を立てて、瞬いた。
ほんの一瞬、暖かい私の声がした気がした。

                  Dear:電子の歌姫

6/17/2024, 12:06:46 PM