131.『安心と不安』『ミッドナイト』『優しさ』
友人の沙都子がおかしくなった。
「百合子。
ふふ、呼んだだけ」
耳元で、沙都子が甘い言葉を囁いてくる。
まるで恋人に接するかのような距離感に、私は動揺を隠せない。
「緊張しているの?
女同士なんだから、気にすることはないわ」
口を開けば罵詈雑言の嵐、私をいじめることに喜びを感じている沙都子が、私に対し柔和な笑みを向ける……
悪夢だと思いたいが、紛れもない現実だった。
「クッキーを食べましょう。
ほら、口を開けて」
始めは新手のイタズラかと思った。
でも違った。
かれこれ一時間くらいこれだし、なんならさっきよりも距離が近い。
「美味しい?
ふふふ、私のお気に入りなの」
沙都子と私は気の置けない仲はあるけど、決して百合な仲じゃないし、間違っても睦まじく愛を語らうような仲では決してない。
「ふう、はしゃぎ過ぎちゃった。
ちょっと休むね」
そう言って肩に寄りかかる沙都子。
何の警戒もなく、身を委ねるように体を預ける。
普段の沙都子なら絶対にしない行動。
疑いようもなく、沙都子はおかしかった
「うわああ」
私は沙都子を突き飛ばす。
私はもう、限界だった。
「どうしたの、沙都子!
今日は様子がおかしいよ!」
「私はいつも通りよ」
「嘘だ!」
私は叫ぶ。
少しだけ『調子に乗るな』と沙都子から罵倒されることを期待した。
けれど沙都子は、悲しそうな瞳でこちらを見ただけだった。
「そうね、百合子がそう思うのも無理はないわ。
あなたには、いつも酷いこと言っているもの……」
「そうだよ、沙都子は私をいじめて喜ぶような性格破綻者なんだよ。
甘い言葉なんて囁かないでよ!
罵ってよ!」
「いいえ、それは出来ないわ」
「なんで?」
「反省したの。
いつもひどいこと言ってごめんなさい」
「そんなこと言って!」
「実はね、百合子のことが大好きなの」
私は頭が真っ白になった。
あの暴言しか出てこない沙都子の口からそんな言葉が出てくるなんて!
衝撃のあまり、気を失いそうだった。
「照れくさくて、つい乱暴な言葉を言ってしまったわ。
ごめんなさい、愛してるわ、百合子」
「……ありえない」
耳を疑うとはまさにこのこと。
絶対に沙都子が言わないであろう、その言葉。
もはや、目の前にいる沙都子が偽物であることは明白だ。
「沙都子を返せ!
この偽物め!」
「何を言っているの。
私は本物よ」
「沙都子はね、愛なんて語らないんだよ」
私は続ける。
「沙都子はね、クッキーを食べさせてくれないし、優しさなんて欠片もない。
やること全部がメチャクチャじゃなきゃいけないの」
「うーん、なかなか分かってもらえないなあ」
聞いているのかいないのか、沙都子は顎に手をあてて考え事をし始めた。
「仕方ないわね。
言葉で分からないのなら、体で分からせてあげる」
「え!?」
私が何かを言う前に、沙都子が私を押し倒した。
「分かってくれないのなら最後の手段よ」
「ちょ、待って」
危険を感じた私は、身をよじり脱出する。
けれどここは狭い部屋の中。
逃げる場所なんて限られていた。
あっという間に部屋の隅に追い詰められる。
「ねえ、やめない?
ちょっと悪ふざけが過ぎるよ」
私は懇願するように沙都子を見る。
すると沙都子は、怯える子供を前にしたような、穏やかな笑顔で言った。
「優しいキスと、激しいキス、どっちがいい?」
「助けてー!!!」
でもここには、私と沙都子の二人しかいない。
絶体絶命だった。
「騒がしいわね、何をやっているの?」
だが神は私を見捨ててなかった。
騒ぎを聞きつけて、家族の誰かがやって来たのだ。
(助かった)
私は助けを求めるために、入り口の方を見て、そして固まった。
「ひぇ?」
我ながら間抜けな声が出たなと思った。
だってそうだろう。
部屋に入ってきたのは、他ならぬ沙都子だったのだから。
馬鹿な、私は沙都子に迫られていたはず。
なのに、なぜ沙都子が部屋の入り口にいるのか……
意味が分からなかった。
正面を見た。
沙都子がいた。
聖女のような微笑みで私を見ている。
横を見た。
沙都子がいた。
汚物を見るような目で私を見ている。
どっちが本物かって?
そんなの決まってる!
「助けて、沙都子!
ニセモノに襲われてる」
ドアの近くに立っている沙都子に助けを求めた。
「ニセモノってなによ。
馬鹿だと思っていたけど、いよいよ本物の馬鹿に……
――あら、姉さんじゃないの」
「お、お姉さんなの!?」
思わず沙都子の言葉を繰り返す。
「沙都子、お姉さんがいたの?」
「言ったことないかしら?
私には姉がいるの」
「……よく遊びに来ているのに、全く知らなかったよ」
私は二人を見比べる。
一卵性双生児だろうか、沙都子とその姉は瓜二つであった。
「全然見分けが付かない」
「すぐ分かるでしょ。
こんなに違うのに」
「そっくりだよ!?」
「容姿じゃなくて、性格が」
「……うん」
なるほど、たしかに性格は似ていない。
私が感心していると、お姉さんが深々とお辞儀をした。
「改めまして、私は沙都子の姉の沙夜です。」
そして、お姉さんは申し訳なさそうな顔で私を見た。
「ごめんね、百合子ちゃん。
少しだけからかうつもりだったんだけど、あんまり可愛い反応するからつい苛めちゃった」
『嘘だ』、そう思った。
私を追い詰めた気迫は、『つい』で済まされるようなものじゃなかった。
絶対に私の唇を奪おうとしていただろう。
私は一歩、お姉さんから距離を取る。
「姉さんは部屋から出て行ってくれる?
ここは私の部屋よ」
「もう、沙都子ちゃんたら意地悪ねえ。
3人で遊びましょうよ」
「出て行って!」
「はいはい、分かりましたよ。
またね、百合子ちゃん」
そう言って、大人しく出ていく沙都子(姉)。
それを見て、私はようやく胸をなでおろした。
「ありがとう、沙都子。
危ない所だったよ」
「まったく気を付けなさいよ、姉さんは危険だから」
「やっぱり?」
「ええ、性別関係なく気に入った人の唇を奪おうとするキス魔よ」
「……へえ」
「手段を選ばないところがあって、深夜の闇討ちも辞さないわ。
姉さんを知っている人からは、ミッドナイト沙夜なんて呼ばれることもあるわ。
暗い夜道に気をつけなさい」
その言葉を聞いて、私はもう一度震えた。
私はとんでもない化け物に気に入られたらしい。
もう一人でトイレ行けない。
「それより百合子、あなたに聞きたいことがあるんだけど」
「な、何かな?」
「あなた、私のクッキー食べたでしょ?」
私はビクリと体を震わせた。
「あれ、後で食べようと取っておいたんだけど、知らない?」
「それ、お姉さんが食べてたよ。
ほら、そこに残りがあるでしょ」
咄嗟に嘘をつく。
お姉さんに『あ~ん』して食べさせられたクッキー。
絶対に私の責任じゃないけけど、絶対に怒られるので誤魔化した。
「いいえ、姉さんは甘いものが駄目で、クッキーは食べないの」
でも無駄だった。
沙都子は、親の仇とばかりにジロリと私をにらんだ。
「きっちり詰めてあげるから覚悟しなさい」
「私、悪くないよ。
お姉さんが――」
「問答無用!
歯を食いしばりなさい」
拳を固く握り始める、沙都子。
その様子を見て、私は安堵にも似た感情を抱く。
やっぱり沙都子はこうでなくては!
いつもの沙都子が戻って来た安心。
そして、未来の自分の身に起こることへの不安。
その矛盾した感情を抱えた私は、もう笑うしかないのだった。
2/2/2026, 10:14:25 AM