真夜子

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「時を告げる香り」

「さあ明石、新造出しも終わったんだ、今日から一本立ち出来るよう、気張るんだよぉ」
 煩い遣り手婆がニヤニヤしながら言うもんだから、引きつる笑顔で「あい」返事をした。
 一本立ちの意味は分かるが、一本って何の一本なんだろう、まさかアレじゃないよな。
「ねぇ、東雲姐さん。一本立ちの一本って何?」
 そう聞くと、昼見世を終えて一息ついてる姐さんは、煙草の煙を外へ向かってふぅと細く吐いて口を開く。
「『東雲姐さん、聞いてもようござんすか? 一本立ちの一本とは何でありんすか』と、聞けぬ妹女郎に、わっちは頭が痛ぅなってきんした」
 はぁ、と小さな溜息を吐いて眉を下げる姐さんは、カンカンと煙草盆に火種を落として、私に向き直る。
「あ、ご、ごめんなんし……」
 姐さんがきっちりと座り直すので、私も崩した足を直して姐さんの目を見る。内心、やっちまったと反省した。
「明石どんや、主は新造出しも終えた立派な女郎でありんす、しっかり廓の流儀は守らねばなりんせん。後に続く禿のためにも、わっちが教えささんした事はきちんと──」
「し、東雲姐さんっ。わっちが悪ぅござんした。長いお説教は堪忍しておくんなんし。わっちが知りたいのは一本でありんす」
 眉間の皺を押さえて東雲姐さんは、ふぅと呆れた様に息を吐いて「禿を呼びなんし」と呟いた。
 私は禿のイトとコトを呼ぶと「あい」と二人がやってくる。
「ちょんの間で使う香を持ってきなんし」
「あい」
 そう言われて二人はキビキビと動いて言われた物を持ってくる。
「良いでありんすか。明石、イト、コト。ようお聞きなんし。一本立ちの一本はこの線香一本の事じゃ」
「線香一本、でありんすか……わっちはてっきり、マ……」
「明石どん、姐さんの話は黙って聞きなんし」
 キッとイトが睨む。
「そんな下品で、東雲姐さんの名を貶めるのはやめなんし」
 コトがやれやれと呆れて見せた。まだ何も知らないロクにアレも見たことも無い禿の癖に分かったような口を聞く。けれども、今回ばかりは自分でも品が無かったと私は顔を赤くして頭を垂れた。
「ごめんなんし……」
 東雲姐さんは言い得て妙だと少し可笑しかったのか笑いを噛み殺し、咳払いをして話を戻す。
「良いでありんすか、この線香一本の間に客を満足させたら一人前。かように短い間にお客様を持てなし、尽くすのは簡単な事ではありんせん。ようく精進しなんし」
 あい、と私達は返事をした。
「でも、東雲姐さんは線香を使っておりんせんが……」
 ハテと思いついて口にしてしまった。すると、今日一番の深い溜息を吐いて、東雲姐さんは呆れ果てて力が抜けたと笑った。
「わっちらのような座敷持ちは、客の方が線香一本の儚い時間では足りんせんと、一晩に銀を払う遊び方をするもんじゃ。どれ、遣り手婆に話をつけて、ちぃと灸を据えてやろう」
 イト、コトと呼んで、東雲姐さんは眉間の皺を揉みながら、また煙管を手にした。二人は頬を膨らませて怒っている。
「いらぬ口を申しんすな。東雲どんをちょんの間と同格にみるなど、なんたる不届きモンでありんすっ」
「それでも東雲どんの妹女郎でありんすかっ。お大尽様が線香一本などしみったれた遊びなどしませぬ。遣り手婆に言いつけささんすっ」
 ああ、余計な事を言っちまった…。
私は思いつきで言ってしまった自分を馬鹿と罵って、真っ赤になった遣り手婆からどう逃げようかと考えるのに忙しくなった。

9/7/2022, 6:57:01 AM