真岡 入雲

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梅雨が明けたと言う割には、ぐずついた天気が続いている。
まるで今の私の心の中のよう。

「はぁ、だいぶ泣いたなぁ」

自分の体の中にこんなにも水分があるのかと、驚いてしまうほど泣いた。
泣いて泣いて泣き疲れて眠って、起きてまた泣いて。
そんなこんなを繰り返しているうちに、世間は梅雨明け宣言が出され早五日が経っていた。
でもほら、今日もどんより曇り空。
青空なんてこれっぽっちも見えない。
私の心も一緒だ、太陽の光なんて一筋も差し込まない、厚い雲に覆われている。

「会社辞めちゃったのになぁ」

『寿退社』という、一番後腐れのない方法で、先月末に22歳から15年務めた会社を退職した。
陰で御局様とか、行き遅れとか、ロボット先輩とか呼ばれていたのも知っている。
仕事において、手を抜くことができなくて、ついつい口煩くなってしまって。
まぁ、若い子達からしてみれば、細かいことに煩いオバさんでしか無いわよね。
それなりにお給料も良かったし、福利厚生もしっかりしていて、何より上司に恵まれていた、半年前までは。
入社当初は私の教育係で、厳しくもしっかりと指導してくれた上司が定年で会社を去り、代わりに来たのが役員と縁戚とか言う中途採用者。
どこかの大きな会社で働いていたそうで、仕事はそれなりにできる人だった。
ただ、私はどうにも嫌われていて、早い話がパワハラのターゲットになってしまっていた。
同じ課の若い女の子には凄く優しかったので、そういう事なんだろう。
頭にはきたけれど、仕事は手を抜きたくなかったから我慢した。
もちろん、泣き寝入りはしたくなかったので、ホットラインとか連絡したけれども、意味は無かった。

そんな時、幸人からプロポーズされた。

幸人は私より八歳も年下で、出会った当初はからかわれているのかと思ったけど、彼は真剣だった。
けれど、私は色々な理由をつけては、彼の申し出を断っていた。
だってもう私もいい歳だし、それに恥ずかしい話だけど『彼氏いない歴=年齢』でどうすればいいのかわからなかった。
そんな私に対して、幸人は根気強く、我慢強く付き合ってくれた。
友達から始めたお付き合いは、半年後には恋人のそれになった。
急ぐことなくゆっくりと、私のペースに合わせて一緒に歩いてくれる幸人は、とても素敵な恋人だった。
交際してもうすぐ二年という時に貰った婚約指輪。
息ができなくなるくらい、嬉しくて泣いてしまった。

夢だった自分の店を開くんだと言われたのもその時。
開業資金が少し足りないという彼に、私は迷うことなくお金を渡した。
お店の場所も決めて、二人で住む部屋も決めた。
会社に通える距離では無いので、今の会社は辞めることにした。
昨日の今日で会社は辞められないから、幸人が先に引っ越して、私は後から引っ越すことにした。
引越しの準備や仕事の引き継ぎで、幸人とは部屋の契約以降、なかなか会えなかった。
部屋、電気、ガス、水道等の契約は私名義で行った。
幸人に自分は店の契約をするから、その方が良いと言われたから。

会えない間も、連絡はとっていた。
数日ごとに届く幸人からのLINE。
お店の工事の様子が画像で送られてくる。
お店の図面、何も無い空間、運び込まれる資材、壁、天井、鏡に椅子にカウンター。
幸人の夢が徐々に形になって行くのが、自分の事のように嬉しかった。

会社を辞めて二週間後、引越しの荷物を業者にお願いして、部屋を引き払い、電車に乗り込む。
ここから電車と新幹線で三時間、向こうに着くのは夕方近く。
3ヶ月近く会っていない幸人と会えることが凄く楽しみで、新幹線の中から『もうすぐ会えるね』とLINEを送った。
けれど既読がつかない。
五分、十分、三十分、一時間。
今日は駅まで迎えに来てくれる予定で、新幹線の到着時刻も教えてある。
急用で手が離せないとか?
少しの不安はあったけれど、幸人を信じていた。
駅で待っていてくれると。

雨は止むことなく降り続ける。
しとしとピチャピチャと音を立て、アスファルトの上を滑り側溝に飲み込まれて行く。
幸人と連絡がつかなくて、駅で待つこと三時間。
このまま待っているわけにも行かず、取り敢えずタクシーに乗り部屋に向かう。
マンションの前でタクシーを降りて、部屋を見上げる。
電気が点いている様子はない。
エントランスで部屋を呼び出すも、応答はなく、仕方なしに自分の鍵で解錠する。
煩いくらいの心音が自分の鼓膜に響く。
ここに来るのは三度目、内見の時と、諸々の契約の時、そして今日。
エレベーターに乗って、ガラスの向こう側に通り過ぎるフロアを見送る。
ポーンと妙に明るい音が響いて、扉が開く。
右手に曲がった突き当たりの部屋。
最上階の角部屋が、私達の新生活の場となる部屋。
ほんの小さな希望を抱いてベルを鳴らすも反応はなく、手にした鍵で解錠した。
静かに扉を開き、体を滑り込ませる。
キャリーバッグを引き寄せて、静かにドアを閉めた。

「幸人?」

暗闇に向かって、名前を呼んでみても返事は無い。
手探りでライトのスイッチを入れて、暗闇に明かりを灯した。

「⋯⋯幸人?」

生活感の感じられない空間がそこにある。
近くのドアを開けて照明をつけ、ソコに目的の人がいないのを確認する。
それを部屋の数だけ繰り返して、私は床に座り込んだ。
照明は契約したその日に揃えた。
何をするにしても一番必要となるものだから。
家電に関しては、二人揃ってから買いに行こうと決めた。
それまでは、幸人が使っているものをそのまま使う約束で。
ベッドもソファもカーテンも全部、二人で揃えようって、言って⋯⋯。
何も無い、この部屋には何も無い。
家具も家電も幸人の気配も、何一つ存在しない。

次の日来た引越し業者は、さぞ驚いただろう。
目を真っ赤に晴らしたおばさんが、ボサボサ頭で顔を出したのだから。
運んで貰った荷物はさほど多くない。
布団に衣類と少しの食器類、父と母との思い出の品が少しに位牌と写真。
それから本がダンボールに二つ分、たったコレだけ。
37年生きた人間の持ち物としては少ない。

LINEを開いて、既読のつかないメッセージを見つめる。
事故にあったのかとも考えたけど、この部屋に何も無かった理由がない。
不動産屋に、お店の物件のことを確認したら、翌日にキャンセルされましたよね?と言われた。
つまりこれは、計画的なものだと言うこと。
幸人は私と暮らす気は初めからなかった、ということ。
郵便受けに鍵だけが入った封筒が入れられていて、乾いた笑いが口から漏れた。

そこから、泣いた。
本当に、だいぶ泣いた。
両親を亡くした時以上に、泣いた。

「はぁ、馬鹿だなぁ」

あの画像を見る限り、幸人の夢は叶ったのだろう。
自分の店を持って、たくさんの人を笑顔にしたいと言っていたから。
その夢を叶えるのに、私は少しお手伝いをしてあげた、そういう事だ。
いい歳をした恋愛初心者のオバさんと付き合ってくれた、オバさんに幸せな夢をみせてくれたお礼だと思えば安いものだ。
プロに頼んだら三百万では済まないはずだから。
うん、そういうことなんだ。
いつまでもウジウジしていられない。
とりあえずは仕事を探そう。
幸いにも、前の上司に勧められて取得した資格がそれなりにある。
きっと役に立つはずだ。
資格取得は彼女の趣味だった様にも思うが、まぁ、いいか。

あぁ、でもその前に。
明日、もし晴れたら髪を切りに行こう。
ずっと幸人がケアしていた背中まで伸びたこの髪を、幸人に出会う前と同じショートヘアに切ってしまおう。
だから⋯⋯。

「あーした、天気になぁれ」

家具のない部屋で、スリッパを飛ばす。
明日、晴れることを祈りながら。



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(´-ι_-`) 国家資格がイイヨネ\( ´ω` )/


8/1/2024, 4:20:37 PM