hikari

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透明な涙

今までもらったプレゼントの中で、1番嬉しかったのは櫛だった。

私は新卒1年目で鬱病になった経験がある。
簡単に説明すると、社会人が直接的な原因ではなくて長年溜まっていたストレスの限界値を迎えたことで、自覚ないまま頭と体がおかしくなっていた。動けなくなったときには時すでに遅かった。

あれだけ好きだった美容関係には、一切興味を持てなくなった。恋愛の話もちっとも面白くなくて、仲の良かった友人とも自分から縁を切った。
こんな自分自身、はやく消えてなくなりたいとばかり思っていた。

全てが怪しく見えてきて、人を信じられなくなったのに、心の底から誰かに救って欲しかった。

そんなとき、1人の女友達から連絡がきた。
随分と離れた土地にいたのに、わざわざ有給をとって会いにきてくれた。大学時代の友人だった。
気さくで、物おじしない、その友人は私を外へと連れ出した。都会的な彼女の足取りは軽やかでとても追いつくのに必死だった。そんな私のことは気にせず、彼女はスタスタと街を歩く。

友人にひとしきり連れ回されて、ホテルに着いた。彼女は、思い出したかのように一本の櫛を私にプレゼントしてくれた。

なんだ、櫛か。と、思った。

正直、もう髪なんてどうでもいいと思っていた。
もうこんなに肌も汚い。
体重も拒食と過食を繰り返して、見窄らしい身体で。
髪もボロボロだった。 

とはいえ、貰ったものだから喜ぶふりでもしておこうと、櫛を髪に通してみた。

するり、と、なんの手入れもしていない絡みまくりの髪を、その櫛はいとも簡単にすり抜けていった。
気のせいか、櫛を通した部分だけ髪に艶ができていた。

私は、言葉が出てこなかった。
あまりにも感動していた。
それは、素晴らしい企業努力の櫛というのもそうだけど、もっと別のところにあった。

「それ、いま流行りのやつ。あんたにどうしてもあげたくて。」

ずっと燻り続けて動かなかった心が、じんわりと温まっていく感覚がした。
何が嬉しいとか楽しいとかどうしたいとかどうなりたいとか、もうそう言うのが一切わからなくなっていたのに、私は気がついたら涙が出ていた。

その涙は、鬱になるまで散々流してきたものとは別の、ずっと濾過された涙だった。

私は何が嬉しかったのだろう。
わざわざ遠い土地に来てくれた友人か。
わざわざ来てくれたのに渡してくれたプレゼントか。
プレゼントの櫛が高性能だったからか?
いや、そんなんじゃなく、
こんな見窄らしい髪の毛にまで見捨てなかったこの櫛と、その友人に感動したんだろうか。
よく、わからなかった。

本当は、ほんの数分前まで全てを疑っていたのだ。
どうせレールから外れた私を馬鹿にしているのだ、
どうせ汚いと下に見ているのだと、友人を疑っていた。
どす黒い感情に塗れた劣等感を彼女は気づいていたのだろうか。
ひっかかりもしなかったこの櫛のように、彼女の素直な言葉が私の胸を通り抜けた。

櫛を抱えてなく私を、大袈裟だとゲラゲラ笑っている。

たった今流れたこの濾過された涙が、私たちを大学の頃へ戻してくれた。一粒一粒流れ落ちる涙と引き換えに、心と脳に血が通っていくのを、私はじんわりと感じていた。




1/16/2025, 5:02:31 PM