《ひとりきり》
ある魔女が死んだ。
とても強大な力を持ち、誰よりも恐れられた魔女だ。
彼女は森の奥深くにある塔に幽閉されていた。実質の牢獄である。手も口も拘束されてはいなかったが、塔の最上階から鎖の伸ばされた足枷があった。
塔には彼女の他に、唯一の出入り口である一階の扉の前に門番が一人。また、時折出入りする使用人が一人。
魔女は放つ言葉の全てに魔力が込もり、さした苦労もなく魔法を紡ぐ。
魔法とは、魔女のみが所有する常軌を逸した力のことである。魔力を込めて言葉を発することで成立するのだが、魔女と会話をしているうちにどんな魔法に掛けられてしまうかはわからない。
つまり、会話自体が命取りなのである。
彼女とは言葉を交わすこともない使用人が三日に一度、硬いパンと水を与えに来るだけの日々が長く続いていた。
魔女は人間ではなく、食事を取らずとも死ぬことはない。だが、飢餓感が存在していない訳ではなくその苦しみだけが身を襲うのだ。
それでも、人間と比べれば随分と長く腹は空かなかった。
それが魔力を原動力とする魔物と同じだ、として恐れられた。
それゆえ王の命令で討伐隊が組まれたのだが、魔女は無限の魔力を所有しており倒し切ることは叶わなかった。
それでも捕縛に成功したことは確かな功績とされ、前王は讃えられている。
一方、魔女は王城の地下牢からすぐに魔法を封じる塔へと移され、かれこれ幾年かひとりきりという訳だ。
そんな魔女の元に、また使用人が硬いパンと水を寄越す。最上階に据えられた小窓以外時間の流れを測ることもできない塔で、使用人の訪れる回数が時間の経過を教えてくれる。
だがそれも、魔女は幾らか前から数えるのを止めてしまっていた。
どうせ命ある限り塔からは出られないのだし、現に幾年が過ぎようと日々になんの変化もなかった。
魔法も使えず、生きる意味も与えられず、それでも死ににくい体を抱えて生きる他なかったのだ。
「——魔女様、貴女はどうしてこちらにいらっしゃるのですか?」
魔女の息が止まった。
一階の扉近くに、いつものように硬いパンと水の入った瓶を置いて無言で去るかと思えば、
「魔女様?」
ある一定の距離は取るものの、反応を待っている。よくよく見れば、昨日までの女性ではなく男性へと代わっている。
「……王がそう命じたから、でしょう」
「……意外とかわいらしい御声をされているんですね。陛下の御命令がなければ、魔女様はこの塔から出られるのですか?」
「……出ら、れないわ。本来は極刑のところを、殺せないから、とここに閉じ込められたから」
「そうですか……」
動揺の収まらないまま会話は続く。
「でしたら魔女様、俺と結婚しませんか?」
「……私、見た目はこんなでもきっと貴方の倍は歳上よ」
「失礼ですが、お幾つでいらっしゃいますか?」
「……わからないの。ここに来る前は十九歳だったけれど、それからどれだけの時間が経ったかは……」
「ああ、それでしたら俺と貴女は二十三ほど離れていますね。俺は二十一歳なので」
「……私って、二十五年もここに居るの……?」
「? はい。ご存知ありませんでしたか?」
「……そう」
ここまで話して、魔女は年齢の話をしている場合ではなかったことを思い出す。
「……というか、早く戻った方がいいわ。そろそろ不審に思われてしまうから」
「お気遣いありがとうごさいます。ただ、遅ければ、死んだか逃げた者として扱われるだけでしょうから問題ありませんよ」
「問題あるでしょう。既に頭に異常をきたしているわ」
「ああ、結婚しませんか、では不十分でしたね。申し訳ありません。……魔女様、どうか俺と結婚していただけませんか?」
「そっちじゃないわ! ……あぁもう、貴方、何がしたいの?」
「……魔女様がおひとりで過ごされていると聞いて、それならば俺が共に過ごせないかと思いまして」
「……どうして?」
「共に刑に処されるためには、血縁関係にある親族か家族でないと不可能なので……他人の俺がそう在るには結婚するしかあるまい、と」
なぜ結婚という結論に至ったのかを聞いた訳ではないのだが、彼は当然のようにそう答えた。
「……わかった」
「本当に結婚して下さるのですね?」
「いいわよ、なんでも。どうせ貴方は先に死んでしまうし」
酷い言葉を吐いたとわかってのそれだったが、青年は一切表情を曇らせることなく破顔した。
「ありがとうございます! 魔女様——いえ、ユンテ様のことは、俺が一生を懸けて幸せにしますから」
「……え、えぇ……」
魔女は、名前を教えていないはずの彼が魔女と呼ばれる前の名を口にしたことに気付かなかった。
そんなことを考える余裕もなかったのだ。
ひとりきりでなくなった魔女と、結婚を願い出た挙句共に塔に幽閉されることとなった青年。
二人の紡ぐ物語、訪れる魔女の最期は——また、別の話である。
9/12/2025, 9:03:25 AM