結城斗永

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11/19『吹き抜ける風』
11/20『見えない未来へ』
2日分なのでとても長くなりますが、
前後編の続き物ですので、ぜひ最後までどうぞ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
前編【吹き抜ける風】

今朝も通勤路のビル街には冷たい向かい風が吹き抜け、刃となって頬を刺す。その度に冷たい風は無情な問いを投げかけてくる。
『お前はこの道の先で何がしたいんだ――』と。

食品メーカーの企画営業。だが、企画とは名ばかりで、配達ついでに立ち話で商品説明をして、サンプルを置いてくるだけの、もはやルーティン業務。会社に戻れば、翌日の納品準備で残業続き。家に帰る頃には、すでに翌朝のことを考えている。
こんな生活がきっとこの先何年も続くんだろう。
想像できる未来が暗すぎて、踏み出す足も重くなる。

いっそのこと、この風が心の中にあるモヤモヤしたものを綺麗さっぱり拭い去ってくれればいいのにと何度願ったことか。
しかし、残酷にも冷たく鋭い風の刃は、心の表面をじわじわと削っていくだけだった。

そんなある日、大学時代の友人、高村からメッセージが届いた。
『今度、企画会社を立ち上げたの。近々イベントがあるから遊びに来ない?』
添えられていたフライヤーの一番上に印字された『秋風アートフェス』の文字に心が躍る。彼女は学生時代からアートイベントの企画を夢みていた。卒業してから会う機会は減ったけれど、あの頃の熱量は変わっていないらしい。

学生時代は今よりもたくさん笑っていた気がする。
未来は常に希望に満ちていて、先に見える景色はすべてが明るく見えた。あの時胸に抱いていた野望や夢といったものは、いつしかどこかに置き去られてしまった。
もはやどこで落としたのかもわからず、その形も曖昧だ。

イベント当日、秋晴れの空が広がる公園の広場に足を踏み入れると、色とりどりのテントとフードトラックが並び、思った以上の賑わいに目を見張った。
コーヒーの香り、油の香ばしさ、ペンキの匂い、レジンの甘い香りが混ざり合い、風に乗って流れてくる。

ふと、一つの書アート作品の前で足が止まる。
たったの一文字『道』という力強い筆文字を、色鮮やかな花の絵が取り囲む。どれもそこら中に咲いている路傍の花。
「よかったらお好きな文字をお書きしますよ」
テントで実演をしていた作家が声をかけてくる。
「いえ、これをいただけますか?」
俺は『道』の文字が書かれた色紙を手に取る。

「お買い上げ、ありがとうございます」
ふと背後から声がする。振り返るとそこにはイベントTシャツにジーンズ姿の高村が、学生時代と変わらない笑顔で立っていた。
「久しぶり。大盛況だね」
会計を済ませながら辺りを見渡す。
「私も驚いてる。作家さんたちがそれぞれに告知してくれたおかげかな」
言われてみれば、来場者の何人かはアーティストの作品を身につけていた。中には長い間使い続けられているであろう物も見える。
「作家さんって個性の塊だから、準備は正直めっちゃ大変。だからこそ形になった時の達成感はやばいよ。毎回、新しい発見ばっかりだし」
そう語る彼女の横顔は、自信に満ち溢れていた。

「ちゃんと夢を叶えててすごいな」
思わず本音が漏れた。
高村は少し照れたように笑い、ふと真顔になる。
「もしかして、興味ある?」
「え?」
意表を突かれ、素っ頓狂な声が出た。どんな顔をして会場を眺めていたのだろう。自分でもわからない。
「これ、名刺。いつでも連絡していいから」
差し出された名刺には『代表』の文字が輝いて見えた。

夕暮れ時の帰り道、購入した『道』の色紙を手に街を歩く。夕日の差し込むビルの谷間に、いつもより柔らかい風が吹き抜ける。
――この道の先で何をしたいのか。
風の問いかけは変わらなかった。そこにまだ明確な答えは出なかったが、俺は心の奥の方で小さく何かが動くのを感じていた。

#吹き抜ける風

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
後編『見えない未来へ』

『先週は来てくれてありがとう』
あのフェスの翌週、高村から再び連絡があった。
『来週の金曜日、次のイベント準備が始まるんだけど、ちょっと手伝ってみない? 平日だし、仕事なら無理しないで』
もちろん金曜日も通常営業。休みを取るにも、有給の申請書を見る上司からの冷たい視線が容易に想像できる。
俺は先週購入した『道』の色紙を改めて見つめる。
――この道の先で何がしたいんだ。
風の問いが蘇る。俺は『行くよ。調整してみる』と返信していた。何故だか行かなきゃいけないような気がしていた。まだ見えない道の先に、何かがあると信じたかったのかもしれない。

翌週金曜日の朝8時。会場となる公園の広場へ向かうと、あの日とは違う騒がしさがあった。空のテントの下には、それぞれの作家が持ち寄った什器や段ボールが積まれている。作家たちは、既に慣れた様子で各々の作業を進めていた。

高村は数人の部下たちに指示しながら、全体の指揮を執っていた。イートインスペースの設営や、会場内を流れる音響の調整などをフォローしながら、作家の声がかかればそちらに飛んでいく。
目の前のすべてが忙しなく動いている。不思議と明るい混沌がそこにはあった。

俺は高村と一緒に、イートインスペースに設置する組立式テーブルと椅子の準備に加わった。
作業をしながら高村が申し訳なさそうな顔で言う。
「わざわざ休み取ってくれたんだって?」
「ああ、気にしないで」俺は笑顔を作って首を横に振る。「こっちの方が興味あったから」
そう答えると高村の表情に若干笑みが戻る。

「ねぇ、高村さん。ちょっと来てちょうだい」
すぐ脇にある作家のテントから女性の声がする。
「はい、今行きます!」
高村が立ち上がり、テントに向かう。テントの脇では作家二人が何やら揉めている。並ぶ商品を見る限り、どうやら陶芸作家と服飾作家らしい。
高村が合流すると、陶芸作家の方が困ったような表情を浮かべて口を開く。
「作風が違いすぎるから、少し間隔を置きたいんだけど……」
「今さらそんなこと言われてもねぇ」
服飾作家の顔にも苛立ちが見える。すでに陳列を終えていて、テントには原色を基調とした花柄の服が並んでいた。確かに作家の手元にある落ち着いた雰囲気の陶器とは大きく異なっているが、素人目に見れば違和感を感じるほどではない。
ふと高村が俺の耳元で囁くように言う。
『困ったわね。今回初出店なんだけど、こちらからお声掛けしてるから無碍にもできないし……』
俺は辺りを見渡す。すると、すぐ隣はあの時の書アート作家だった。俺は彼のテントに向かい、声をかける。
「あの……、ちょっといいですか?」
「あれ、この前のイベント来てくれましたよね」
男性作家が嬉しそうな笑みを浮かべる。軽い挨拶を交わし、本題に入る。
「もし大変でなければ、お隣と場所を入れ替わることはできますか?」
俺の言葉に高村と陶芸作家もこちらを振り返る。俺は陶芸作家の方に向き直る。
「この作家さんの作風なら、ちょうどお二人の間でクッションになると思うんです。高村はどう思う?」
高村に問いかけると彼女は首を大きく縦に振った。

ブースを入れ替えるため、男性作家の手伝いをしていると、高村がそっと近づいてきた。
「ありがとう。助かった」
何気ない言葉だが、それがとてもうれしかった。思えば、今の仕事で感謝の言葉をかけられることなんてほぼなかったから。

ブースの入れ替えが終わり、引き目に全体を見渡す。
書アートの筆文字と花の絵は、想像通り、淡い陶器を花柄の服を調和してくれた。
作家たちもみな納得いったようで、その後は大きな不満も出ることはなく、イベント開始の時刻がやってきた。

「はぁ、一時はどうなることかと思ったよ――」
会場全体を見渡しながら高村がホッと胸をなでおろす。
「思った以上に大変なんだね」
「主役は作家さんたちだからね。実際動いてみないと見えないことだらけで、毎回何かに気づかされる」
高村が噛み締めるように言う。
――動いてみないと見えないこと……か。
あの風の問いに、わずかばかり光が差したような気がした。
「俺も頑張んなきゃな……」
ふと漏れた言葉に高村が反応する。
「頑張るんじゃなくて、楽しむんだよ。どうせやるなら面白いと思える方向に向かわなきゃ」
「そうだな、楽しまなきゃ」
俺は笑みで返す。
未来は先が見えないからこそ、無限の可能性を秘めている。今の行動一つでこの先の何かが変わるかもしれない。
公園を風が吹き抜ける。遠く忘れていた気持ちをそっと届けてくれるような優しい風だった。

#見えない未来へ

11/20/2025, 9:45:31 PM