緑化委員には、必ずやらなければならない活動がある。
夕方四時、校舎の隅に植えてある椿に銀の如雨露で水をやる事。曜日は関係なく、天気も関係なく。休みの日も、雨の日も、雪の日だろうと毎日、必ず。
逆を言えば緑化委員は、この椿の水やりが唯一の活動であった。
「めんどくせー」
愚痴をこぼしつつ、如雨露に水を入れる。
空を見上げれば、曇天。予報では夜には一雨来るという。
意味がないと思いながらも、手は止めず。これが委員会の活動だと理解して入ったのだから、文句も言えず。
溜息を吐き水を止めると、如雨露を持って歩き出した。
校舎の裏。敷地の隅に、その椿はある。
花の咲かない椿。先輩や先生の誰もが、咲いたところを見た事がないという。咲いてはいけないと、咲けば良くない事が起きるのだという噂すらあるほどだ。
その椿の根元に水を撒く。これで委員会の活動は終わりだ。
時間の無駄だなと内心で愚痴を溢し、如雨露を片付けに踵を返す。次は二週間後だ。
楽ではあるが面白みのかけらもない委員会に、入った事を少しだけ後悔した。
今日は朝から騒がしい。生徒だけでなく、先生方も落ち着かない様子で動き回る様子に、何かあったのかとつられて落ち着かなくなりながらも教室に入る。
「はよ。何かあったのか?」
「知らねえの?椿が咲いたんだとよ!」
「水やりサボった奴が、行方不明なんだと!」
水やり。昨日の担当は確か、隣のクラスの奴だったと思いながらもクラスメイト達の話の続きを聞く。
「最近、何かやべー事続くよな。この前は二年のクラスでも色々あったじゃねーか。まだ目が覚めないんだろ?」
「ころも様、だっけ?ほんと女子ってそーゆーの好きだよな」
「その前にもあったよな。何かの呪いだか、儀式だかをやって狂った女子」
「もう呪われてんじゃね?この学校」
怖いと言いながらも笑って会話を続けるクラスメイト達に、無言で教室の扉を指差す。そのタイミングで険しい顔をした先生が教室に入り、慌てて席に着く彼らを見ながらも、ふと椿の水やりは儀式に似ているなと、そんな事を思った。
放課後。今朝の椿の件があり、校舎内には誰もおらず。
けれども水やりの活動は変わらず。よりにもよって、今日の担当である事に自分の運の無さを嘆いた。
如雨露に水を入れ、椿の元へと向かう。
校舎にも校庭にも誰一人いない。静まり返った学校はまるで違う場所のようで。帰りたいと、足を速めた。
「……ぁ」
目の前の光景に、足が止まる。
咲くはずのない椿。その花が。
赤く、紅く。瑞々しく、艶やかに咲き誇り。
その側で椿を見上げる、一人の女生徒。
こちらに気づき、笑みを浮かべた。
「今日の担当か。ご苦労な事だね」
「誰…?」
問いには答えず。ただ笑みを浮かべたまま、手にしていた如雨露を指差す。
「つまらない事、退屈な事だからといって疎かにすると、足元を掬われる事もあるから気をつけて」
その言葉に何故か水やりをサボり、行方不明になった委員の顔が浮かんだ。
「水やりをしないと、椿に殺される…」
「確かな理由がなければ。そしてそれが続けばそうなるね…あれは一度も来なかったみたいだから。他にも何人かいるらしいけど、今回のこれでどうなるやら」
呆れたように肩を竦めて椿を見上げる。その視線は優しく、どこか憐れんでいるように見えた。
「昔の誰かが、ただの椿に意味を持たせたんだ。祈りを込めて、毎日椿に水を与えた。その人が死ぬまで欠かす事なく、死んだ後も他の誰かがそれを引き継いでここまできた。長い時間の中で意味は忘れられ、形だけが残った…ここまで大きいと、もうどうにも出来ないね」
「……その、意味って。祈りっていうのは」
「さてね。どうだったかな」
忘れてしまったよ、と素知らぬ顔をしながら、彼女は立ち竦む自分の横を通り過ぎ、去っていく。
「それよりも覚悟をしておいたら?しばらくは椿の専属になるだろうから」
「えっ?」
「だって怖くて近づけないだろう?特に今日は誰も来れないと思っていたよ」
唐突にかけられた言葉に慌てて振り返ると、足は止めずに後ろ手で手を振られた。その意味を理解して、思わず肩を落とし溜息を吐く。
振り返り椿を見る。
一瞬だけ、焼けた町を背後に黒く煤けた幼い少女が、椿の根元に手にした水を撒き必死で祈る幻を垣間見た。そんな気がした。
20240805 『つまらないことでも』
8/5/2024, 10:14:38 PM