たまには寝転がって星空を見るのもいいものですよ、と教えてくれたのは彼女だった。
一国の姫である彼女がまさかそんな事をするはずはと思ったが、その瞬間にはもう彼女は楽しそうに草むらに寝転がっていた。
護衛騎士としての自分が以前には聞いた事のない一言や、見たことの無い表情をたくさん与えてもらっている。何もかもが新鮮だった。100年の時を超えてやっと自由を手に入れた彼女は、100年前より生き生きとしているように見えた。
「さあ、あなたも隣に」
そう言うが早いか、腕をぐいっと引かれ彼女の隣に倒れ込んだ。戸惑いながらも装備を解き、草の上に寝転がる。少し湿った草の匂いが鼻をくすぐった。夜の匂いだ、と思う。
横を見ると、彼女は真っ直ぐに空を見上げていた。その横顔がとても美しくて、はっと視線を奪われた。
今夜の星明かりはそんなに明るいわけではないのに、彼女の姿がはっきりと見えるのが我ながら不思議な気持ちだった。金のまつ毛に彩られた瞳が空を映している。美しくて、ただ美しくて、目がそらせない。こんな間近で、こんな角度で、主である彼女を見るのは100年前には有り得なかったことだ。
ふぅ、と彼女が感嘆したのを耳にして、我に返った。慌てて目線を夜空に移す。感情を表に出すのはあまり得意ではないのに、頬が火照っている気がする。彼女が気づいていないことを祈った。
「星空は、変わらないのですね」
ほっとしたような、寂しそうな。そんな口調で彼女は呟いた。
100年前とはたくさんのことが変わってしまった。失われた王国、周りの人々…彼女が厄災を押さえ込んでいてくれた100年という時間は、世界ががらりと様変わりするには当たり前過ぎる時間だった。
少し、申し訳なく思う。その100年間は残念ながら自分の記憶にはないからだ。傷ついた身体を癒し、再び厄災と相まみえる力を取り戻すために眠り続けた100年間。知らない間に盟友は去り、取り戻せたとはいえ一時は記憶さえ失った。
自分の知らない100年を越えてきた彼女の想いは、自分にはわからない。それがもどかしかった。
何も言えずに星空を見上げていると、声が少し近くなった。
「100年前も、あなたと星を見ましたね…変わらないものもあるのですね」
彼女の方を見ると、彼女もこちらを見ていた。さっきまで星空を映していた緑の双眸が、今度は真っ直ぐに自分を見ている。
「嬉しいです、またこうしてあなたと星を見られて」
そう続けた彼女の表情は、穏やかだった。静かに微笑んだその顔を、仄かな星明かりが照らしている。
「ありがとう、一緒に戦ってくれて」
そう言ってさらに笑みを深くする。わしづかみされたように、心がぎゅっと音を立てた。
もしかしたら、この笑顔が見たかったからなのかも知れない。護衛騎士だから、選ばれし英傑だから、剣の勇者だから、ではなく。100年前も、目が覚めてからも戦い続けてきたのは、ただ笑顔が見たかったから。
感情が膨らみ過ぎて、とてもいい言葉が見つかるとは思えなかった。伝えたい想いはたくさんあるけれど、言葉にできそうにない。
だから、ただ微笑むことにした。そして頷く。
それを見た彼女は、ふふっ、と嬉しそうに笑って星空に視線を戻した。100年前ならお互いに言えなかった言葉。伝えられなかった気持ち。変わらない星空を見ながらそれを伝え合うことができることを、何より幸せだと思う。
願わくばこの笑顔が消えないことを。こんな穏やかな時間をこれから先も守り続けていけることを、ただ星に願った。
7/6/2023, 1:23:39 AM