sairo

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「ふざけるな」

低く押し殺したような声がした。
感じるのは強い怒り。伝わる感情と共に刺すような冷気を感じ、燈里《あかり》は目を開けた。

「楓《かえで》……?」

顔を覗き込む楓と目が合う。燈里が目を覚ましたことで表情を幾分か和らげた楓は小さく息を吐いた。

「少しの間、意識を失っていたよ。穢れに当てられたようだけど、目覚めてよかった」

体を起こす燈里の背を支え、楓は言う。まだ意識がはっきりとしないのか、燈里はぼんやりと頷きながら、視線を彷徨わせた。
傍らには、未だに目を覚まさない睦月《むつき》の姿。楓の背後、蔵の入口に立ち塞がるようにヒガタがいた。

「楓」

目覚める直前に聞いた声を思い出しながら、燈里は楓を呼ぶ。彼女の声ではなかった。聞き馴染んだあの声の主は、外にいるのだろう。

「駄目だよ、燈里」

立ちあがろうとする燈里を押し留め、楓は首を振る。

「また穢れに当てられて倒れるだけだ。今は大人しくここで待つしかない」
「楓」
「駄目だ。燈里がまた倒れたら、今度こそアレがどうなるか分からない」

背後を一瞥し、楓は苦く呟いた。燈里も外へと視線を向け、眉を顰める。
ほんの一部しか見えないものの、外は明らかに様子が変わっていた。白一色。空も地面も変わらないその白は、雪なのだろうか。
ここにくる前には、雪は然程積もってはいなかった。硬い土や枯れた木々の燻んだ色を思いながら雪に染められた理由を考え、息を呑む。
同時に外で声がした。

「何を荒ぶる。鈴《すず》の望みに応えることを、咎められる理由はないだろう」
「いい加減にしろ!」

感情の乏しい声に、怒りを露わにした声が叫ぶように答える。

「死者を冒涜し、生者を手にかけるなど許される訳がないと、何度言えば分かる!?」
「鈴のためだ。望みに応えるには必要なことだ」
「いい加減にしろと言っている!その腕にあるのは、もはや人間ではないだろうが」

冬玄《かずとら》と西の面の声だと気づいた瞬間、燈里は夢で交わした約束を思い出した。

「っ、燈里!」

楓を押し除け、立ち上がる。ヒガタの隣に歩み寄り外を見れば、一面雪と氷に覆われた世界で冬玄と西の面が対峙していた。
しゃん、とヒガタが錫杖を鳴らす。これより先には出るなということだろう。燈里は頷いて、一歩だけ後ろに下がる。
それを見て、楓はそれ以上燈里を止めることはなかった。外の二人を警戒しながらも何も言わず、燈里の背後に控える。

「人間は人間と共に在るのが良い。故に鈴も人間と共に在らねばならない。鈴の生まれ育ったこの場所で、友と過ごせば寂しくはなくなるだろう」

淡々と告げる西の面の言葉に、燈里は眉を寄せた。
先程から会話が噛み合っていない。言葉を交わしているというのに、言葉が届いていないように思えた。

「どうすれば……」

このままでは堂々巡だ、冬玄もそれを感じているのか、険しさの中に焦りが浮かんでいる。
西の面に言葉を届ける方法を考えながら、燈里は声を上げようとした時だった。

――鬼は外。

子供の声と共に、四人の方相氏が西の面を取り囲んだ。
皆傷だらけで、方相氏の四つ目の面も割れている。特に西の面の正面に立つ方相氏の傷は誰よりも深く、面が半分に割れてしまっていた。

「また西の邪魔をするのか」

苛立ちを露わにした声音。西の面から伸びる影が歪に蠢いた。

「何故、鈴を厭う。何故、故郷から追い出し封じる。貴殿らも、東も、南も……北も。何故」

呟く言葉は剣呑さを孕み出す。蠢く影が鋭い棘となり形を成し始める。

「やめて……」

方相氏たちを傷つけたのは誰なのかを理解して、燈里は呻くように呟いた。方相氏の面が割れ、子供たちの素顔が見えていても西の面の反応はない。腕に抱く少女とよく似た顔をした目の前の方相氏のことも見えていないのだろう。
止めなければならない。だが、言葉は届かない。
歯痒さにきつく手を握りしめる。無意識に手のひらに爪を立て、じくりとした痛みを覚えた。

「え……?」

ふと、痛みが違和感に変わる。
握りしめた手を解く。爪痕の代わりに白い花が一輪、潰れることなくそこにあった。

「っ、ヒガタ!」

弾かれたように燈里はヒガタを呼ぶ。
それだけで全てを察し、ヒガタは燈里へと手を差し伸べた。
燈里は迷わずヒガタの手に白い花ごと手を重ね、息を深く吸う。
しゃん、と錫杖が鳴る。
手の中で花が熱を持つのを感じながら、燈里は西の面を見据え、声を上げた。

「これ以上、子供たちを泣かさないでっ!」
「――泣かせる?」

西の面の動きが止まった。
困惑した声。蠢く影が形を解かし、沈んでいく。

「鈴を泣かせるのは西ではない。方相氏や東たちだ。鈴を一人にし、この場所から追い遣り泣かせている」

ゆるゆると頭を振り、燈里の言葉を否定する。だがその言葉には覇気がない。
言葉が届いている。それを確信し、燈里は逸る気持ちを抑えながらゆっくりと口を開いた。

「その子のお姉さんの名前を覚えていますか?」
「鈴の姉?覚えている。西は忘れない」

そう言いながらも、それ以上言葉は紡がれない。戸惑いに気配が揺れ、次第にそれは焦燥感に変わっていくのが目に見えて分かった。

「何故……あの子を覚えている。忘れてはいないというのに、名が言葉にならない」
「社務所の奥の部屋に、四つ目の方相氏の面と四つの黒塗りされた木札のことは知っていますか?」

びくり、と西の面の肩が震えた。視線が彷徨い、正面に立つ方相氏の割れた面から覗く素顔を認め、小さく呻く。

「ようやく気づいたか」

呆れたように冬玄は呟いた。深く溜息を吐き、纏う激情は周囲の氷と共に溶けていく。

「皆が変わったのだと思っていた。だが変わっていたのは西の方か……鬼は西だったのか」

呟いて西の面は崩れ落ちた。
その様子を見ていた方相氏たちは、しばらくして柊を手に持ち西の面に近づいていく。

「鬼は外。鬼は外」

正面の方相氏が声を上げる。それに続いて他の方相氏たちも声を上げた。

「村から外へ、遠くへ追いやれ」
「柊立てて、転じて内へ」
「四方を打ちて、閉じ込めよ」

柊を掲げる。
正面の方相氏がもう一度声を上げようとした時だった。

「すまない。だが、鈴を死なせる訳にはいかない」

俯いていた西の面が顔を上げた。
息を呑む方相氏たちの目の前で、その姿は影に沈んでいく。
気づき止めようとした時にはすでに遅く。

西の面の姿は、影と共に跡形もなくその場から消え去っていた。



20260211 『この場所で』

2/12/2026, 1:17:05 PM