茂久白果

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 胸の鼓動
 *ブロマンス×ファンタジーです。


 とくん……とくん……。
 隣から、ゆったりとしたリズムで胸の鼓動が聞こえてくる。決してそんな気がするのではなくて、物理的にだ。
 彼がリラックスしている時、困っている時、嬉しい時。どんなに表情を取り繕っていても、素直な鼓動はいつも真実を告げている。

 僕は、ヴァンパイアだ。生まれた時はもちろん普通の人間だった。けれど狂った男にこんな体に変えられて、それからもう随分と経つ。

「今日ね、この後大雨が降るらしいんですよ。お客さん、大丈夫ですかね」
 テーブルを回ってひとつずつキャンドルを灯しながら、乙都(おと)くんは心配そうに眉を下げる。
「どうかな。誰も来ないかもね」
 僕がそう告げると、乙都くんは目を丸くする。
「雨の日はほんと少ないよ、まあ、雨の日は早く家に帰りたいよね」
 他人事のように言う僕に、乙都くんはもっと目を丸くする。その顔が愛しくて、思わず顔が緩んでしまう。

 ヴァンパイアになってから気が遠くなるほどの月日を経て、いろんな時代を過ごして来た。今僕は夜だけオープンするカフェを営んでいる。
 年を経るごとに日光に対する耐性はついたけれど、体調に多少なりとも影響するのは確かだ。夜に出来る仕事をいろいろと試した結果、今は心地の良い穏やかな暮らしを手に入れた。似た境遇の仲間が穏やかに過ごせる場所が欲しかった。

 住み込みのアルバイトの乙都くんは、人間だ。過去に縁があったけれど、彼は何も知らない。もちろん僕のことも。僕は紫外線アレルギーの虚弱体質の男だと思われている。乙都くんは素直だから、僕が告げたそのままを、受け入れる。
 ふらりと客としてやって来て、失業して住むところもなくなると聞いた瞬間、二階の余った部屋の内装を考え始めた。

 ただ、僕は彼を見守りたくて、そばに置きたい。もちろんそれは彼の血が欲しいとかそういうことではない。時代とともに社会は変化して、人工血液もその入手ルートも確立された。だから人間を食糧みたいに考えるヴァンパイアなんて、ごく一部のカルトな連中だけだ。

 だからこそ、タチが悪いのかもしれないと思った。出会った日からの彼の成長、人生。その何もかもを、見守っていたかった。
 その欲を手放したくて長く離れていたはずだったのに、乙都くんはひょっこりと突然店に姿を現した。再会したその瞬間、成長して当時と何もかもが変わっていても、すぐに彼だとわかった。目が合った瞬間、全身の毛が逆立つような感覚がした。
 運命っていうのは、神様っていうのは、どうしてこんなにも意地悪なのかと。親切心だとしたら、お節介が過ぎる。

「店は、開けるんですよね?」
「そうだね、もしかしたら誰か来るかもしれないし」
「じゃあ、俺今日下にいてもいいですか?」
「いいよ、どうして?」
「……なんとなく、迷惑じゃなか、」
「ちょうど良かった。新作のドリンク試して欲しかったんだ」
 言葉を濁す乙都くんの話を遮った。いくら言い聞かせても、彼は遠慮をやめてくれない。そういう性格なのだろう。
 乙都くんが自分のシフトを終えた後に店で過ごしたいと時々申し出てくれる。その時、この店が彼にとっても居心地の良い場所なのかもしれないと、幸せを感じる。
「はい、いただきます、なんでもっ」
 そう言って、パッと顔が明るくなる。そして、少しだけ速くなる鼓動。



 ああ、駄目だ。
 やっぱり手放したくない。

9/9/2024, 9:42:40 AM