汚水藻野

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「わたし、桜を見て死にたいな。」


叶うはずのない願い事。
そんなことは分かっている。でも日本人である以上、自然を愛する者である以上、桜を見て人生を終えたいのだ。

わたしは、もう余命4ヶ月半だそうだ。

夏が終わりかけの頃から少しして、感じていた違和感。それが最終的に今のような状態になるまで蓄積されていた。

正直生きるのは苦では無かった。
日々窓の外から見える景色はやはり心を揺さぶる美しさを持っていた。呼吸が深くゆっくりなので、普段目を向けないところも観察できることは素直に楽しい。最期までこうしていたいとさえ思う。

「……アンタ春までギリギリ生きられないんですよ?」
「知ってるよ。」
「無理難題を押し付けないでください。」
「無理かなぁ。」

「……はあ〜〜。分かりましたよ、桜ですね。」
「えっ。君ってこういうの興味ないと思ってた。」
「あと4ヶ月半で声も聞けなくなるし体温も感じることができなくなるんですよ。さすがの俺もそういう配慮できますから。」
「ふふ、意外と可愛いとこあんじゃん。」
「うるさい。」


秋の桜の花束を渡した。
コスモス。秋の桜。花言葉「調和」「謙虚」「乙女の真心」。
あなたにぴったりだ。

一輪だけ黒い秋桜を背中に隠して、病室へ入る。

「……死んでんのか生きてんのか、相変わらず分かんねーな。」

誰もいない、という静寂に耐えきれず、独り言が漏れる。
黒い秋桜を背中に隠さなくても良いことに安堵し、一度深呼吸した。

「この"桜"は特別ですからね。」
「ちゃんと、持っておいてください。」

静かにコスモスをその手に持たせる。




秋になって肌寒くなったからか、少し冷たくなった手を握って温めた。




2025.10.10.「一輪のコスモス」

黒い秋桜:「恋の思い出」「恋の終わり」「うつり変わらぬ気持ち」

10/10/2025, 5:15:25 PM