「娘は私と妻が、蝶よ花よと育てたのだ。よくも知らぬ男と夜遊びするなど許すはずがない!」
塾の帰り道、エイミを迎えにきた父に、ただ花火大会を男女混合のグループで行く許可を得ようとしただけなのに。エイミは、過保護を自負するような父の発言に赤面した。たまたま一緒に行くクラスメイトのササキくんも近くにいるというのに恥ずかしいったらない。
「いやだからササキくんの他にも女の子達もいるって…。」
「おとうさん、エイミさんが蝶のように美しいのはその通りですが、そろそろ虫籠から出して自由にしてあげたらどうですか。」
「何言ってんの?ササキー!?」
エイミの訂正に被せるように父を挑発する発言をするササキに、エイミとその父は目を剥いた。まるで恋愛小説のなんちゃって中世で婚約を申し込む貴公子のような物言いだが、ササキはただの現代のクラスメイトだし、エイミとそのような関係ではない、
「お前におとうさんと呼ばれる謂れはない!だいたいエイミが青虫毛虫の頃から育てていたのに蝶になったとたんチヤホヤする奴になんやかんやと言われるのはおかしい!」
「…私、青虫毛虫呼ばわりはちょっと嫌だな。父さん。」
父が激昂するのもやむを得ないと思いながら、少しズレを感じる父とササキの会話にエイミは腕をさすった。黙って行くのも心配をかけるだろうし、実際に会って話した方かいいかと思っていただけなのに、なんだか話の流れがおかしい。
「落ち着いてください。エイミさんが蝶なら僕は花です。」
「はな」
父娘の反応が思わず被った。ササキくんは何を言っているのだろう。親に許可をもらう時に側にいて大丈夫な人選を完全に間違ったかもしれないとエイミは遠い眼をした。信用してもらうにはぴったりな頭が良さそうな優等生だと思っていたのだが。
「葉を食べる青虫毛虫を駆除してもらい、適切な切り戻しに、決して根腐れしないようやり過ぎない水遣り、焼けない程度の日あたりの確保に、適切な時期の肥料、温度湿度の管理、雑草も抜いてもらって生きてきました。」
「くじょ…」
エイミの独り言も気にせずササキはそこで胸をはった。
「その結果が僕という花です!」
「はぁ。」
父娘の気の抜けた返事もそのままにササキは目を落として続けた。
「僕は、悪いことをしたいという人間ではありませんし、勉強も運動もそれなりにできる方だと思いますし、真面目だとも言われます。しかし、他人との会話がどこか噛み合わないのです。」
それはそうと父娘は顔を見合わせた。
「花には蝶が、蜂が、虫達が必要なのに、これではどうすればいいかわからないまま満開の大人になってしまいます。蝶にだって、蜜を吸う花が、卵を産み付ける葉を選ぶことがいずれ必要な筈です。」
その表現方法はそれでいいのかなと額に手を当てながらもエイミはササキの言いたいことが少しわかってきた気がした。
「….ササキくん、花は蝶を害したりはしないよね?」
「僕は食中植物として育てられていません。」
その答えに口角を上げてエイミは父に向き直った。
「父さん、花火大会にくるのはササキくんだけじゃなくて、女の子の友達もたくさんくるの。男の子もササキくんだけじゃないけど、クラスメイトで、女の子の方が多いくらいよ。ひとけのない所なんていかないし。途中で写真も送るから。少しは信頼してよ。じゃないと免疫がなさすぎて、チョロい女になっちゃうよ。」
チョロいという言葉に少しショックを受けたような父親だったが、知っているエイミの女友達がくることがわかって、チラチラとササキを見ながら、渋々エイミの花火大会の夜間外出に頷いた。
「おい、鳥や狼からエイミを守ってくれよ。」
ササキは別れ際にエイミの父からそう言われて
「僕、花なので、葉とかで頑張ってエイミさんを隠します。」
と答えていた。
ササキくんって少し変な奴だけど、とっても良い人だとエイミは破顔した。
「ササキくん、巻き込んでゴメンね。父の話に付き合ってくれてありがとう。」
やはり恥ずかしくてササキの目を見ては言えないエイミだった。
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久方ぶりの小説。
「蝶よ花よ」という言葉と「チヤホヤ」という言葉は、かの清少納言の仕えた定子の和歌から来ているんですって。
帝の妃という立場から、前例のない第二妃に政争で敗れ時の人ではなくなったことを嘆く定子に、慰める清少納言。それに対する返歌に含まれるそう。
"みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける"
知らなかったです。主従の愛尊い。
もともと、今をときめく人をただ持て囃すことを言っていた言葉が大事に育てるという意味を含むようになったことが面白いなぁと思って作ってみました。
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英語では過保護な親をヘリコプターペアレンツ、フランス語では雌鶏と言うんだとか。それもまた面白いなと思っています。
特にフランスの方に鶏とっても愛されてるんですね。鶏を差す言葉も、それらに関する慣用句もたくさんあるようで楽しかったです。
過保護の親の表現としてでてくる雌鶏は、甲斐甲斐しくヒヨコの面倒をみる母性の象徴でもあって、「混乱を極めること」を「雌鶏が子どもを見失うくらい」と表現する慣用句があるのには、鶏に対する愛があってニヤリとしました。
8/8/2024, 2:37:47 PM