誰にもしたことのない話をしよう
夢にも現れたことのない月のように
深いかなしみの底から光が差しこむ
裸体の渚で、わたしたちは会おう
幾夜も往復した痕を踏み鳴らし
灰混じりの砂浜にいのちを署名する
われた爪からほとばしる色の名まえが
からだ中をつたって丸い星を描く
「死ぬはずだったのよ」
多くのものが、とわたしは応える
「書かれなかったのよ」
あなたをつよく、わたしは抱きしめる
砕けた歯と青あざをとりこぼして
大洋の水面に弾け飛んだ伝承
「いのちは硝子でした」
焼かれ、身に宿し、無から産まれたことばも
綴じられたものは僅かに届かず
積み上げたことさえ忘れる
誰にも話したことがなく
誰も聞いたことがない
口が口を塞ぐとき
行き交う言葉を耳は知らない
「死ぬ前に──」
息を継いで、また
「死ぬ前に──」
繰り返している
書物机から遠ざかり
星あかりにもっとも近づいた縁を這う
八本脚の黒い影の喚きが
熱の詩になる
新月の前夜に滴る
あたらしい過去として
いつも此処になく
いつも此処にあることばとして
その腕をまわす
わたしたちの形になる
「ほんとうに多くのものがどこかに行ったんだ
聞いてくれるかい?」
#夜の海
8/15/2023, 12:16:40 PM