『春爛漫』
ちょうど寝支度を整え終えた彼女が静かに寝室のドアを開く。
彼女よりも先にベッドでまどろんでいた俺は、携帯電話の画面から視線を上げた。
俺と目が合えば、彼女はどこかうれしそうに目尻を細めてベッドに潜り込む。
「再来週の水曜日休みでしたよね? フラワーパークに行きませんか?」
枕を動かし、彼女が収まりのいい位置を探り当てたタイミングで俺は声をかけた。
すると、閉じかけていた瞼が俺のほうに向けられる。
「え、いいけど。前後は仕事もあるからあまり遠出はできないよ?」
「もちろんです」
彼女のスケジュールは織り込み済みだ。
あらかじめ電車で行ける範囲のフラワーパークをピックアップしている。
「俺的には、ネモフィラかナノハナかチューリップ、ポピー、春バラ、……時期的にはそろそろツツジも捨てがたくなりますが、どうですか?」
「待って、私が選ぶの?」
買い物デート以外の場所に赴くときは、ほぼ俺が行きたい場所に彼女をつれて行くことが多いせいか、意外そうに彼女が眉を寄せた。
「珍しいね?」
俺の腕に額を寄せながら、「どこにしようかなー」なんて、まろやかな声音で甘えてくる。
かわいいな?
黙っておくと下心が顔を出してきてしまうため、俺はせっせと口を動かし、己の欲をごまかした。
「ネットを漁っていたら候補を絞りきれなくなりました」
「そんなに花好きだったっけ? 来週は土曜日も休みだから、ふたつくらい行ってみる?」
「お誘いはありがたいのですが、来週のその休みは俺とショッピングデートです」
「ん?」
俺の言葉に、唇を突き出して首を捻る彼女の姿が今日も絶好調にかわいい。
疑念の残った表情のまま、彼女は俺を無防備に見上げた。
「……そうなの?」
「ええ」
事前の約束なんてしていないから、彼女の疑問はごもっともである。
不思議そうに瞬きを繰り返す彼女に俺は意気揚々と口を開いた。
「フラワーパークに行くための洋服を買いに行きます」
「洋服……」
立てばかわいい、座れば可憐、笑って歩けばマジ天使級のかわいさを誇る彼女は、なにを着てもかわいいに決まっている。
そこに花の種類に合わせた洋服なんて、もしかしたら蛇足になるのかもしれなかった。
しかし、かわいいとかわいいをかけ合わせた彼女は、絶対に罪に問われるレベルのかわいいに違いない。
青銀の髪の毛や、大きな瑠璃色の瞳を存分に活かしたコーディネイトでもいいかもしれない。
「この時期はカフェも春らしいフレーバーが増えますし、季節のデザートやドリンクも楽しめますよ?」
「デザートが食べたいのはれーじくんでしょ?」
「バレました?」
春はサクラやイチゴ、レモンといった爽やかな色合いのスイーツが多く発売される。
味もさることながら、春らしい華やかな見た目は写真映えもするから、どさくさに紛れて彼女の被写体のおともにすることも多い、素晴らしい季節だった。
「季節限定の桜と抹茶のミルクレープが気になっています」
もちろん、春という陽気な季節を楽しむ彼女の好みも押さえておく。
「あとはショッピングモールにある近くの公園では、まだ葉桜が楽しめそうですので散歩でもどうかなと思いまして」
「なんか、春がきたって感じだ……」
ぽつ、と、呟いた彼女に俺もうんうんとうなずいた。
「さすがに朝夕は冷えますが、日中は暖かくて過ごしやすい陽気になりましたもんね。夏用の洋服も並んでいたら一緒に買いますか?」
「違う。れーじくんの脳内の話」
「ん? 俺ですか?」
「私のことに関してはいつもお花畑だけど、この時期は筋肉まで春爛漫になっちゃうんだもん」
筋肉が春爛漫とは??
全身全霊で浮かれているということだろうか??
相変わらず独特な表現をする彼女のセンスには脱帽する。
面白いから俺もその表現をいつか使ってみたくなった。
とはいえ、心地よく移り変わった季節に浮かれているのは俺だけではない。
「さっきから、つれないことを言いますけれども」
キュッと、彼女の着ているシャツの上から胸を摘む。
「んっ」
胸への刺激に彼女は小さく皮膚を揺らし、湿度のこもった甘やかな声を漏らした。
彼女にとっては不意打ちだったとはいえ、あまりにも素直な反応に調子に乗った俺はさらにコネコネと胸への刺激を強める。
「あなたのお召し物が下着ごとゴッソリなくなって、俺もあなたに麗らかな春を感じています」
意外と寒がりな彼女は、冬になるとインナーの上にさらにヒートテックインナーを重ねて、厚手のパジャマの上にパジャマを着込み、もこもことしていた。
それが数日前から、下着ごと一気になくなっている。
「ちょ、やめ……っ」
「無理でしょう」
シャツは薄手のものに変わって、下着が消えたのだ。
奥ゆかしく膨らんだ魅惑のお胸の形がうっすらと浮かんでいるのに我慢しろとか、鬼にも程がある。
「昔、はやめてって言ったらやめてくれたのに……っ」
「口ばっかでイヤがってないじゃないですか」
数年かけて彼女と肌を重ね続けてきた。
かわいいお口から出てくる言葉はつれないが、それが照れ隠しであることくらい理解しているつもりである。
「厚かましくなりやがって」
「本当にイヤならやめますよ?」
「そうは、……言ってないもん……」
照れは隠すが嘘を言わないところが、数あるうちの彼女の美点だ。
ちょっとだけ素直になった彼女の唇を軽く啄む。
ぽやぽやとした様子で俺の体温を受け止める彼女の熱を、俺はさらに高めていくのだった。
4/11/2026, 9:19:23 AM