スポンジのように吸収する、とか茹だるような暑さ、とか。
自分の思いや感情を、手垢のついた表現方法でしか伝えられない時に、どうにもやり場のないじりじりした気持ちに駆られてしまう。
あの人ならもっとオリジナリティ溢れる言い回しができるだろうなとか、我ながらn番煎じでつまらん喩えだなとか。
でも、最近になってこうも思う。
確かに他と同じような、月並みな表現にはなってしまうかもしれない。
しかしそれでも、古着屋さんや古本屋さんで売られている商品みたいに、その言葉はどこそこの誰兵衛の手に渡ったり袖を通されたりして、確りと愛されていたのではないのかとも。
特に昔からずぅっと使われ続けている言葉なんて、淘汰もされずに生き残っているなんて、遥か昔から現代に渡って人々の心に生き続けている証拠だと思うのだ。
そう考えれば、古の人にならって私もそれを踏襲するのは満更悪いことでもないのだろうな。
温故知新。故きを温め新しきを知る。旧いことも新しいことも全て大切、常に勉強勉強。
いつの間にか私のやるせない気持ちは宇宙の果てまで飛んでいってしまったようだ。
8/24/2024, 9:39:29 PM