夜明け前
夜明け前のこと。ミルは早くに目が覚めて、中庭に来ていた。
(うーん……今日は何も無いのに、早くに目が覚めちゃったな……)
あくびを噛み殺して、中庭のベンチに腰掛ける。秋が深まるこの季節の夜明け前はかなり冷え込むようになっていた。着ていたカーディガンを引っ張り、身を縮こめてミルは空を見上げる。薄く明るくなっていく空には白い星が淡い光を放っていた。
(……綺麗、だな)
「!」
ふと、気配を感じて振り返る。少し離れたところに白い服の男が立っていた。静かに微笑んでミルを見つめている。
「おや、私に気づくとは流石だね。それだけあの子が気にかけている……少し、妬けてしまうな。あの子が私に向けるのはいつも痛々しいくらいの殺意と憎悪だというのに」
(……エミール執行官)
「うん?だんまりかい?耳が聞こえていないのか……それとも、話す口が無いのかな?」
微笑みながら話すエミール。ミルは「……いえ、失礼いたしました」と頭を下げる。
「少し……驚いただけです。エミール執行官」
「そうかい。まぁ、いい。とりあえず、お前にあるものを渡したくてね」
そう言ってエミールは赤い封筒をミルに差し出す。
「これは?」
「今度、ヴァシリーと一緒に北の支部へおいで。そこで茶会をしよう。師弟関係を結んだお前たちのことを私は知りたいんだ」
「……茶会を?」
「ああ。私はヴァシリーの育て親ではあるが、あれには尊敬の念を抱かれたことは一度もなくてね。もちろん、私もあれに大事な弟子と思ったことは無いが」
微笑みながら淡々とエミールは言う。それに対してミルは背筋が凍り、今にも震えそうになったが必死に耐えた。
(……普通、じゃない。どうして拾った子供に対してそんなことを)
「ん?どうした?青い顔をして」
「……いえ、何でもございません。ただ、私の師は気まぐれな性格ですから、エミール執行官の招待に応じるかは確約しかねますが」
「ああ、別に構わないさ。お前だけでも来てくれたら私は歓迎するよ。あれがどうしてお前に目をかけるようになったのか、私は知りたい」
口元こそ笑っているが、その目は氷のように冷えている。ミルに向けられたその微笑みは厚意ではなく、殺意そのもの。
エミールは音も無くミルに近づくと、無遠慮にその顎を掴んで視線を合わせる。
「見た感じはただの小娘だというのにな」
「……何のつもりですか?」
「ふうん。ついさっきまで青い顔をしていたくせに、気丈な一面もあるのか。まるで猫だね」
にこりと笑ってエミールはミルの顔から手を離す。静かにミルはエミールを睨み、手の中の封筒を懐にしまう。
「ではね。返事を期待しているよ」
ひらりと手を振って、エミールは立ち去った。その場に残ったミルは静かに息を吐くと、夜空を見上げた。
(夜明けは気分が晴れるものなのに。あの方のおかげで、憂鬱な気持ち……)
小さなくしゃみを一つ。ミルは身体を小さく震わせて、中庭を後にした。
9/13/2024, 1:24:40 PM