ドルニエ

Open App

 ウッドランド。どこまでも続くかと思ってしまう広大な深い森の支配する地域。ここでは見通しの利かないぶん他地域よりも見張りが手厚くなる。特に気配を探ることが生命線になる狩人、聴覚に優れた盗賊が要となって各所で警戒にあたる、そんな地域。だから自然と俺の出番も多くなるのは道理。加入直後と違ってできることが少しずつ増えているいまでも、戦力としては不充分な俺は先頭に近い位置で神経を研いでいることのほうが多かった。
「どうだ?ナール、カルロス」
「いや、いまのところ大丈夫そうだ。少なくとも矢の届く範囲には何もいなさそうだ」
「そうですね。俺も何も感じません」
 銀髪の狩人の言葉に、“悪食”とまで言われた男が飄々と応じ、続けて俺も同調する。この3人が揃って異常なしとなれば、それはほんのわずかな時間とはいえ安全と判断していいだろう。言い換えればそれほど安全と言い切れる範囲は狭いということだ。それほどこのエリアの森は深かった。
「しかしアンタ、こんな厄介な団にずっとくっついて何がしたいんだい?儲けたいのでもなし、強者と戦いたいのでもなし、ましてや世直しなんて趣味じゃねぇだろ」
 心底面倒くさそうに肩をそびやかしながら“悪食”の狩人が言う。とはいえ、聞き知っている範囲での話だが、この男も相当面倒くさい経緯で旅団に加わったと聞いている。横で聞いていた狩人も、そして俺も首を振り、その狩人を見返す。
「俺は俺のいたいところにいるだけですよ」
「――まあ、シンプルな答だけどよ」
 理解に苦しむ、という風にナールさんは首を振った。
「しかし、そこまで魅力的なのか?あんたにとって、あの人は」
「ええ、僕――いえ、俺にとっては」
 かけ値なしなんですよ、あのひとは――とまでは口にしない。それを衒いもなく口にするのは少しばかり気障というか、野暮な気がした。
「聞いた話だと、町に着くなり酒場に出ては宿に――おっと」
 同席者に遠慮したのだろう、ナールさんは言葉をつぐむが、横で聞いていたもうひとりの狩人は、その先を察して顔をしかめた。
「ナール、オレを何だと思っている?そのへんのネンネのお嬢ちゃんと一緒にされては困る」
「っと、そりゃ失礼。――まあ、あれだ。お前さんの入れ込みようといったら普通じゃない、って、そう言いたいのさ」
“悪食”の狩人はそう言って矛先をこちらに向けた。俺は彼の言葉を織りこみつつ話を続ける。
「俺は、あのひとのせいでまあ、いろんなことに気づかされたんですよ。あのひとに会ったから旅に出る気になって、あのひとに会ったからここにいて。だから、あのひとに幻滅しない限りここにいるんでしょう」
「――」
「――」
 分からない。そんな雰囲気を感じる。とはいえ、俺の事情だっておそらくこの旅団の人たちと同じように、ごく個人的なことだ。特段喧伝するようなことでもない。
「まあ、俺の好きにするってだけのことです」
「それだけ、なのか?あんた」
「まあ、分かりやすいよな」
 ふたりの狩人が、それぞれだいぶ異なることを口にする。
「ええ、それだけなんです」
 その先をいつ成せるのかはまだ分からないが、それはどこまでいっても個人的なことで、俺ひとりの手で決着をつけなければならないはずのことだ。
 好きとか手放すのは辛すぎることとか、そういう話ではなくて。
 死んだ劇作家が憎しみの刃という言葉を使ったらしい。その重みの差はさておくとして、俺の握っているのもまあ、そうなのだろう。
 俺はすべてを一斬できる剛剣も乱麻を断つ名刀も持っていないし、扱えないけど。人ひとり通り抜けられる小さな穴ならなんとか開けることはできるはずだし、あのひとの側にいるには、たぶんしなければならない。そのために。
「――っと」
 馬車の長さにして6台ぶんだろうか、その先につ、とした違和感に気づく。すぐにふたりの狩人もごくわずかな気配を察する。
「さて、今日のお勤めですね」
 感覚を一段研ぎ澄まし、生き物の気配に集中する。数にして6、7だろうか。雰囲気から、それが人間ではなく魔物であることが察せられる。
 お願いしますよ、みなさん。
 俺は馬車の荷台に飛び乗りつつ、2本の指を口もとにもっていった。
 ヒューーイ!ヒューーーーイ!!
 長い2度の指笛。俺にできるのはほとんどここまで。あとは状況に応じて後方への合図と、おそらく役に立たない「警告」を奏でつづけるだけ。
 それがオルステラの日常であり、このA****のいつもの姿だ。
 あのひとは後方で馬車の中だと聞いているが、この音に反応していち早く動きだしていることだろう。だから。
 お願いします、皆さん。ヴィオラさん。
 できるのは誰とも知らぬものに祈ることのみ。こんな情けない団員は俺だけだろう。でも、だから。
 俺は俺にできることを。
 俺は馬車の荷台に飛び乗り、あぐらをかいて俺にできることの準備をする。
「――」
 得物を手に取る。調律はいらない。むこうの意識を拡散させる、そんな音だけ出せればいい。
「――」
 指を掻きはじめるととたんにぞわりとする感覚に襲われる。奏者の俺にはどうしても分かってしまうからだ。それでも気を強くもって指を掻き続ける。
 成功率は高くない。「操作」ではなく「誘導」だからだ。酒場の音楽が誰にとっても楽しいものではないのと同じ。案の定、食い気が削がれる気配は一向に薄まらない。
「どうも巧くないです。みなさん、お願いします!」
 外に向かって叫ぶと、ルーセッタさんとナールさんの仕方ない、という気配が返ってくる。オルステラの普通の風景に切り替わってゆく。
「気勢を削ぐぞ。合わせろ、ナール」
「オーケー、ルーセッタ」
 弓を構えたシルエットが逆光のなかで見える。俺は補助の魔法の準備に入る。
 ウッドランドの深い森の比較的大きな人間の道で、誰にも知られない戦端が、切られた。

1/31/2025, 11:28:44 PM