薄墨

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ギリシャ神話の船の名を冠するその星座は、大きすぎるが故に、星図から消えた。
アルゴ船という輝かしい名を持ったかつての星図は、部品ごとにバラバラに分割されて、とうとうアルゴ船というかつての名前を失ってしまった。

消えた星図のアルゴ座は、今、それぞれの部品_りゅうこつ座だの、とも座だの、ほ座だの、らしんばん座だの…_に分かれて記録されている。
まるで座礁し、ぶつかり、部品ごとにバラバラに分割されて沈没した船のように、今の星図では、船の部品が、独立して空に浮いている。

じりじりと蒸し暑い夜空を眺める。
南の孤島で見る空には、まるで、誰かがヤケになって砂をぶちまけてしまったかのように、無数の星が散りばめられている。

私は、真っ暗なコンクリートの道路に寝そべって、無数の星に目を凝らしていた。
この限られた時間を有効活用しようという気は全く起きなかった。
起き上がるための希望も気力も体力も、もはや私には残っていなかった。
私は、空っぽだったのだ。

私は、死にに来たのだった。
感情の起伏がほとんど凪のようで、外界刺激に何も反応できないつまらない人間というのが、私だった。
私はつまらない人間だった。
友達や家族や…私と一定以上の関わりがある人間は、皆私の事をなるだけ避けた。
私が感情や想いを分かりやすく訴えることがなかったからだ。
何をしても反応らしい反応を返さず、暖簾に腕押しな私を愛するものは、誰もいなかった。

実際、私はどんなに絶望していようと、人や世界を恨むことはなかったし、
また、どんなに幸せな日常を送っていようと、希死念慮が薄れたことはなかった。

私はどうしようもなく、平坦で、無個性で、つまらない人間だった。
そんなところに嫌気がさしていた。

私と関わるものは、そんな私の性格を、悟りであり、“大人である”証拠と見做した。
“器が大きく、大人びており、落ち着いた人間”である、と、みな、私を褒めた。

私はそれにうんざりしたのだ。
うんざりして、どうにでもなれ、と思って、日常から抜け出してこの島まで、逃げ出してきたのだ。
死ぬために。

人口が少なく、交通の便が悪い南の島は、しかしそのおかげで、美しいほどの静謐さと眩いほどの星空を持ち合わせていた。
だから、私は星空を見つめることにしたのだ。
そして、不意に、あの星図のことを思い出したのだ。
大きい体を持っていたが故に、バラバラに分解されて、消えた星図のアルゴ座を。

私は車道に寝そべったまま、ぼんやりとアルゴ座の残骸を見つめた。
星はびっしりと夜闇を埋め尽くし、またたいている。
アルゴ座の部品たちも、ひしめき合う星と星の間で、窮屈そうに所在なさげに浮いている。

蒸し暑い夜風が、滑らかに吹く。
消えた星図の残骸が、無数の星に埋もれて輝いている。
それはなんだか、私の惨めでやるせない希死念慮に満ちた気持ちを、少し慰めてくれている気がした。

私はじっと、星図を目で辿る。
遠くで、何かの虫が鳴いていた。

10/16/2025, 2:15:55 PM