『冷たっ』
見上げると、どんよりとした雲があった。
よく見てみると、ポツポツと雨が降りはじめている。
家まで10分もしないくらい。
このくらいの雨であれば、傘がなくても少し濡れる程度で帰れるだろう。
そう思った矢先、
ザァー。
急に雨脚が強くなる。
さすがにこの雨の強さでは傘をささないときつい。
だが、荷物の中に傘など入っていなかった。
傘無しで家まで走らなければならないか......と覚悟を決めかけたその時、建物が見えた。
よく見るとログハウスで、何か店をやっているのか “open” の小さな板だけ扉にかかっている。
普段なら、得体の知れない建物に入りはしないが、今は緊急事態。目の前のログハウスが店であれば、傘を置いてあるかもしれない。
最悪傘だけ買うか、雨宿りだけでもさせて貰おうと、ログハウスに近寄る。
すると、ドアの上にかけてあるランタンに、ポワっと明かりが灯った。
よく、人を感知してつくライトが防犯のために取り付けてある家は見るが、それとはまた違い、ふわっとゆっくり明るくなった。
オレンジ色のどこか暖かいランタンの明かりに吸い込まれるように、気づけば扉のすぐ側まで来ていた。
ガチャ......
扉の開く音にハッとすると、すぐそばの扉がゆっくり開く。少し開いたところでひょこっと、小さな女の子が顔を出した。
小学校低学年くらいだろうか、自分の半分位の身長に茶色のロングヘア。緑色の綺麗な目をした少女だった。
拍子抜けしたせいか、彼女を見つめる形で固まってしまった。
「......お客さん......?」
少女がキョトンと首を傾げる。
客......客といえばそうかもしれないが、望んできた訳でもないのでなんとも言い淀んでいると、彼女が空を見上げてあぁ、と納得した。
「お兄さん、降られちゃったんだね。」
事情がわかったからなのか、ニコッと笑いながら扉を開ける。
「どうぞ。中に入って。」
不思議な少女に招かれるままに、その店に足を踏み入れたのだ。
中はとてもシンプルで、テーブル席、カウンター席とあり、他に誰もいなかったのでテーブル席に通された。
玄関のランタンと同じ、暖かい明かりで、優しく照らされている室内。
心地よくて、眠気を誘う空間だった。
『(まずい......眠ってしまう......)』
そう船を漕ぎ始めた時、
「どうぞ。」
カチャリ、と目の前にカップが置かれた。
その音と中に入ってるであろう、コーヒーの香りで目が覚める。
『えっ。あの、頼んでな』
「ここからのサービスなんです。お代は受けとりません。」
女の子はニコッと目を細める。
コーヒーサービスのお店は最近見ないが、全く無いわけじゃない。
それに彼女は自分がこの店に来た事情も察している。
ご厚意を無駄にするのも......と思い、頂くことにした。
『......いただきます。』
「めしあがれ。」
ズッとひと口啜ると、深いコーヒーの味。
普段喫茶店に行く訳でもないので、詳しい銘柄や味の善し悪しはよく分からないが、少なくとも普通に美味しく感じるコーヒーだった。
そして何より、優しく感じる味だった。
コーヒーを半分ほど飲み終わった頃、ふと近くの窓から空を眺める。
雨は先程よりは止んだが、まだ傘をささずに帰るには厳しい程度。
時計を見るとこのお店にはもう15分くらい居座っている。店主が優しいとはいえ長く居座るのも申し訳ない。程々で店を出たいところではあるが、ここまで来たらもう濡れずに帰りたい。
さて......どうしたものかな、と息をつく。
「雨......止みませんね。」
声に振り返ると、少女もとい店主様がいた。
困った顔で一緒に窓を見ている。
『そうですね......早く止んでくれると、ありがたいんですが......あはは。』
同じく困った顔で返すと、少女は間髪入れずに答える。
「止みますよ。」
『えっ。』
「止まない雨はないので、必ず晴れます。」
彼女はまっすぐ目を見て言い切る。
綺麗な緑色の瞳が、キラリと光ったように見えた。
十数分後、コーヒーを飲み終わると同じタイミングくらいで雨はあがっていた。
『晴れた......』
「ねっ。言ったでしょう。」
ふふっと笑いながら、彼女は飲み終えたカップを片付けてくれた。
『はい。......でも、今度は晴れている時にここに来たいものだなぁ。』
歩いて10分しないくらいの場所に、こんな喫茶店があるなんて気づかなかった。今度からは周りをよく見ながら歩いてみようと思っていると、彼女は答えた。
「あー、それは出来ないんです。雨の日にしかここには来れないので。」
『え?』
「でも良かったですね。すぐに止んで。通り雨だったんですかね。」
『え、あ、あぁ。そう、かな?』
「またのご来店、お待ちしてますね。」
彼女はお盆を抱えてにっこりと笑っていた。
気づけば出口に足が向いていた。
立った記憶もないのに、まるで魔法にでもかかって誰かに操られているかのような、そんな感覚だった。
急いで振り返り、店主である彼女を見る。
『あの!また、来ます!!』
店を出ていこうとする足に抗いながらも、必死に伝える。
しかし無情にも抗いきれず店を出てしまい、言い終わったかそれくらいで扉がパタリと閉まった。
彼女は驚いたような顔をしていたから、きっと届いたとは思う。
気づいた時には、最初の雨に降られた場所に戻っていた。
同じ道を辿っても、先程のログハウス......喫茶店はどこにも見当たらない。そもそも、この道が合っているのかさえ不安になってくるほど曖昧になってきた。
彼女の言っていた、“雨の日にしかここに来られない”と言うのは、本当なのかもしれない。
狐に化かされたような気持ちであったが、不思議と嫌な気はしなかった。
道もお店の内装も徐々に曖昧になっていくが、コーヒーの味だけは鮮明に覚えている。
今まで雨なんて嫌な思いしかしなかったが、たまにはこういった不思議な経験をするのかもと思うと、雨の日も悪くは無い。
またいつか、可愛らしい店主と心の温まるコーヒーが飲めたらいいなと願うことにした。
#通り雨
9/28/2023, 9:00:23 AM