中宮雷火

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【堕落のダンス】

彼と出会ったのは、少し古いダンスホールだった。

偶然足を運んだダンスホールでは、皆が楽しそうにステップを踏んで踊っていた。
その光景を横目に私はカクテルを貰い、近くの椅子に座った。
みんな、楽しそうだな。
なんて溜息を一つついたときだった。
「見慣れないお顔ですね。」
ある男性が声をかけてくれた。
「あっ、はい。ここに来るの、初めてで…」
「そうですか。貴方は運が良いですね。
ここは素晴らしい場所ですよ。
皆さん、不自由の中で自由に踊っているのですから。」
彼は私の方を向き、こう言った。
「良ければ、僕と一緒に踊りませんか?」
私は少しだけ目を見開いた。
彼の優しい目が、私の心を撫でた。
「…私で良ければ、喜んで。」

踊り方を知らない私をリードするかのように、彼はリードしてステップを踏んだ。
「ごめんなさい。
私、踊り方とか全く知らなくて…」
「踊り方なんて、誰も知りませんよ。
みんな、心で踊ってますから。
足が勝手に動くだけですよ。」
そんな彼の言葉を信じて、私は気の向くままに足を踏み出した。
彼に握られた手、一人ではないという感触。
心地よいと感じた。
ずっと身を委ねていたいと、心の底からそう思った。
口角を上げた私は、彼の手をぎゅっと握りしめた。

その後何度もダンスホールに足を運び、その度に彼と踊った。
連絡先を交換して、休日に会ったりするようにもなった。
いつしか敬語は消滅し、タメ口で話すようになった。
「私のこと、好き?」と訊けば、
「世界で一番愛してる」と返ってくるほど、
私達はお互いを愛している。
しかし、神様はそんな幸せそうな私達が憎らしかったのだろうか。
あんなことになるなんて。

同棲し始めてしばらくして、借金取りに追われるようになった。 
「おい、ドア開けろやぁ!」
ドンドンッと玄関を乱暴に叩く音。
「ねえ、どうする?」
私は声を震わせた。
「窓からこっそり出よう。バレないように。」
彼は荷物をまとめ始めた。
「麻里佳、先に逃げろ。」
「えっ、快くんは…」
「後から行く。」
彼には借金があるらしい。
なぜ借金をしているのかは知らないが、彼なりの事情があるのだろう。
私はこっそりとベランダから出て逃げた。
「そこの喫茶店で落ち合おう」

「はぁ、はぁ…お待たせ…」
彼がやってきた。
「借金取りは?」
「きっと今も健気に玄関叩いてるよ。
僕達がどこにいるか知らないよ。」
「あの人も馬鹿だね。」
「でも、絶対おかしいって気づく。
捕まるのも時間の問題だよ。早く逃げなきゃ。」
私達はまた走り出した。
行く先も定まらぬまま。

廃工場の近くまで逃げた。
「ここまで来たら…もう…安全…」
彼は整わない息のまま呟いた。
「きっと、大丈夫だよね?」
「うん、大丈夫」
なんて思っていた。
全然大丈夫では無かった。
「お前ら、見つけたぞ」
「あ゙ぁ?腑抜けた顔しやがって」
「雑魚な見た目してやがる、たっぷりもらうとするか」
見つかった。
「うぅ゙…」
声にならない声を漏らした。
「逃げよう。」
私は彼に手を引っ張られて駆け出した。

廃工場の中。
薄暗がりで怖い。
私は彼のコートをぎゅっと掴んだ。
肌寒い秋の空気が張り詰めて、緊張感を増している。
「どこだぁーっ!」
遠くから借金取り達の声が聞こえる。
「…来るっ。」
「逃げろ」
「えっ」
「麻里佳だけでも逃げろ」
信じられなかった。
だって私は…
「快くんと一緒じゃなきゃ、嫌だ…」
「でも、僕たちは殺される。」
冷えた声で言われた。
「麻里佳は生きろ。」
「…うん。」
私は逃げた。快くんを置いて。
目に涙らしきものが溜まるのを感じたが、そんなのはどうでもよかった。
一方彼は、廃工場の外に出た。

「おい、外にいるぞ!」
借金取り達が一斉に外に出ていくのを、私は物陰からじっと見ていた。
決して見つからないように、息を殺しながら。
何やら言い合いをしているのが見える。
快くん、どうか…
彼はいきなり腕を伸ばした。
手に握られているのは…拳銃。
なんで拳銃があるの?
私は困惑した。
まさか、本物ではないだろうな。
そして拳銃には弾が入っていて、撃ったら

バンッ
…カランッ

私は目を見開いた。
本当に、撃った。
そして、拳銃は本物だった。
赤い何かが見える。
「お、おい、こいつ撃ちやがった。逃げろ!」
借金取り達が次々と逃げていき、外には彼一人と赤い何かが残った。
私は走って外に出た。
激しく雨の音が聴こえる。

「快、くん…」
私は思わず手で口を塞いだ。
倒れた人。
彩度の明るい赤い血が雨で薄まっていく。
「まさか、本物だとは思わないじゃん…」
彼はぎこちない笑顔を私に向けた。
恐怖と不安と絶望に染まった笑顔。
私は震える指に力を入れた。
彼の手を握った。
「一緒に、逃げよう。」
ああ、初めて逢った時もこんな感じだったな。
この手の温もり、
目線、
一人ではない感触。
「逃げよう。」
私達は手を繋いで、雨の中を走った。
走りながら考えた。
私達は何を馬鹿げたことをしているんだろう、って。
だけど、私達はこうするしかないんだって。
踊り方を知らない私は彼に踊り方を教えてもらって、
今では一緒に駆け出している。

酷く冷たい雨なんか気にせず、
ただただ走った。
私達の行く先は不透明。

10/4/2024, 12:53:58 PM