今までどんな風景を見てきただろうか。見たくない風景もあったであろうが、思い出せることができ言葉にすることのできる風景は花火だ。小学一年生の時に花火を題材にした作文を書いたことがある。その内容はおおまかこうであった。花火が私を踊りへと誘う。轟く轟音の後に徐々に徐々に点と点とが繋がる様に色彩が繋がる。一緒に踊りませんか。赤青黄色緑。轟音を聞いて家族の元へ届いたお国の戦いの出場通知である真っ赤な紙とリチウムによる炎色反応の真紅の花火が繋がり顔を俯かせ一筋伝う。その頃の無抵抗でいるしかなかった幼子へと戻るのだ。
花火と違い夥しい量の不健全な赤黒いものが一面に塗られている。花火の様に撃たれて首が飛ぶ。色が変わる前にほら早く。肌に纏わりつく衣服が気持ち悪い。汗が垂れ衣服の中へと伝っていく。音に怯えながらも手を取れば何か変わるかもしれないそう信じた。どこへと誘ってくれるのだろう。花火と共に空へ舞う。地面へと誘われるだろう。そして第一発見者が通報し病院へと誘われるのだろうが、小学一年の私は知らなかったことである。花火に怯える様な臆病な性格ではあったが色彩と音を使った表現方法に幼いながらに感銘を受けたのだろう。今はその歓声の声が鬱陶しく聞こえる。だが、それは歓声を上げている方々には何も関係がないことであって、ただの底辺が下から恨み言を言っているに過ぎない。何も知らなくていいことである。何も気にしなくていいことである。だがだからこそ腹が立つのだ。偽善を生業にしている方や偽善や自己満足で行動し責任もないくせに揺さぶる輩が。
4/12/2025, 10:17:02 AM