【力を込めて】
地面に引き倒した仮初の主君へ馬乗りになり、その細い首へと両手をかける。剣で人間の生命を刈り取った経験は幾度もあるのに、何故だか指先が奇妙な震えを訴えた。
「ふふっ、そうだよ。そのまま力を込めて」
弾む声でお前は笑う。俺の十本の指がその首を絞めあげているとは思えぬほど楽しそうに。
絶対の忠誠を誓う主人からの命を受けて、暗殺対象の元へ使用人として潜入した。必要な情報を手に入れたら対象の命を奪って主人の元へと戻る、いつもと何一つ変わらぬ仕事だ。それなのに、どうして。
『ねえ。僕を殺す時はその剣じゃなく、ちゃんと君の両手で絞め殺してね』
何をきっかけに俺の目的に気がついたのか、ある日お前はそう柔らかく微笑んだ。今日の夕飯はビーフシチューなんだよと告げる時とそっくり同じ軽やかな口調で。そうして俺を追い出すことも憲兵へ突き出すこともせず、今まで通りに俺を雇い続けた。
ぽきりと何かが折れる音が手の中から響いた。お前の身体がぐったりと力を失う。両手にこびりついた温度に、ひどく吐き気がした。
ああ、どうして聞く必要もないお前の願いを、俺は叶えてしまったのだろう。こんなのまるで呪いだ。この世でたった一人、俺が自らの手で絞め殺した対象。力を込めて、生命を断ち切った人間。
満足そうに笑ったお前の死に顔を俺はきっと、永遠に、忘れれることはないだろう。そんな漠然とした確信だけが、俺の胸中に渦巻いていた。
10/8/2023, 3:19:00 AM