桜河 夜御

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お題「喪失感」
 
 私の親は昔から、私の物を勝手に他人にあげてしまう人だった。
 大事なとっておきを、ここぞという時まで仕舞ってしまう私も悪かったのかもしれない。そういうものは、毎回いつの間にか無くなってしまっていた。
 服、靴、鞄、髪留め、アクセサリー、時計など。とにかく色々なものが無くなった。
 無くなる度に新しいものを買って、また無くなっては新調しての繰り返し。
 そうやって、勝手にあげてしまっても、必要なものはまた買ってくれたから。だからきっと、私の親は酷い人ではなかったのだろう。
 良いように捉えれば、新しいものをたくさん買って貰える環境だったとも言える。
 けれど、“特別”とか“思い出”とか、そういったものは理解してもらえなかった。
 初めて買ってもらった物も、貯めていたお小遣いで初めて自分で買った物も。それらは気が付けば、従姉妹たちの物になっていた。
 あの子たちは母子家庭で可哀想なんだから、貸してあげてね、と。その言葉は、ずっと忘れられずに残っている。
 そしてその、貸してあげてねの対象は服とかではなく、父親のこと。
 従姉妹たちは私の二つ上と一つ下。そう大して変わらない年齢で、私だって親に遊んで欲しかった。
 だけど大人はみんな、あなたはいつでも遊んで貰えるんだから、と従姉妹たちを優先した。
 あの子たちは大変。可哀想。母子家庭だから。父親がいないから。誰もがそう言って、私を後回しにした。
 だから、大人はみんな従姉妹たちが可愛くて、私のことはいらないのだろうと思った。
 いらないから後回しにされて、いらないから、私のものは何でも持っていってしまうのだ。
 それなら私は、尚更いい子でいなければ。
 いらないと思い続けられたら、連れていかれてしまう。
 その考えは、大人が従姉妹たちを構うなか、一人遊びを身に付けた頃から生まれたのだと思う。一人遊びのなかでも、私は特に空想の世界を膨らませるのが好きだった。
 誰にも邪魔されない空想の世界。形の無いそれは、誰にも貰われない、自分だけのもの。
 だからきっと、空想の世界を広げ続けているうちに思い込んでしまったのだ。
 ――いらないものは、何かが持っていってくれる。
 そうして大人になっても、私はその考えを持ち続けていた。
 私の親も相変わらず、私の物は何でも勝手にあげてしまう人のまま。変わったことと言えば、従姉妹たちとの縁がいつの間にか切れたこと。
 こちらから何か動いたわけではない。ただ、心のなかでずっと、いらないと思い続けただけだ。ずっとずっと、思い続けたから。だから持っていってくれたのだ、何かが。
 そう信じて、私は思い続けた。
 いらない。いらない。いらないから、早く持っていって欲しい。
 私の物を何でも勝手にあげてしまう親なんて、いらない。私が一度も会ったことことのない人に、私に確認もせずに、何もかもをあげてしまう親を、早く持っていって。
 ずっと、ずっと、ずっと思い続けて。
 いらないのなら、貰うね、と。
 やっと、貰いに来てくれた。やっと、持っていってくれた。
 その瞬間から、空気が変わった。吸い込んだ息が、肺の奥までしっかりと染み渡る感覚。
 これは、喪失感?
 近しい人が、親族が、親が、いなくなって感じるのは、それだろう。
 けれど、これは違う。いらないものを持っていってもらって、喪失感なんてあり得ない。
 これで、私はやっと生きていける。

                    ―END―

10/14/2023, 12:21:15 PM