sairo

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「どうした?黄《こう》」

空を見上げ佇む弟の姿を認め、声をかける。

「兄者か。いや、何もない」

視線を空から下ろし兄に答える声は、常とは異なり覇気がない。
悔やむような哀しむような表情をして頭を振る弟に、おいで、と優しく微笑い手招いた。
素直に側による弟の頭を撫で手を取る。手を引き社の上り口に座らせると、同じように兄もまたその隣に座った。

「兄者」
「少し休憩しような。兄ちゃんは黄のようなすごい眼も、神様の力もないからこれくらいしかしてあげられなくてごめんな」

きゅっと、唇を噛みしめ俯く。その様子をあえて視界に入れないようにして空を見ていれば、兄者、と再び小さな声が兄を呼んだ。

「人に戻す事の出来ない子が少しでも人に近い生き方をするには、どのように在り方を変えたら良いのだろうか」

おや、と予想のしていなかった言葉に内心で首を傾げる。神社に訪れた者の望みに応えて視えたものに気疲れしているのだと思っていたが、どうやら思っていた事よりも深刻であるらしい。だがその困惑を表情には出さずに、弟の言葉の続きを待った。

「俺でも分かるほど支離滅裂な呪を施された娘がいる。複雑に絡み合った呪はその魂を歪め、人から逸脱しかけていたが、まだ引き戻せるように傍目からは見えていた。だが、」

口を噤み、目を閉じる。一度深く息を吐くと、目を開けて自嘲に近い笑みを浮かべた。

「永きに渡り己が内に溜め込であろう呪は娘のすべてを浸食していた。あれは最早人ではなく呪そのものだ」

娘の夢を渡り垣間見た光景を思う。破れ寺。怨嗟の声。娘の黒く染まった四肢。
娘の隠し通していたものを暴き立て、尚且つ隠されていた事に怒りさえ覚えてしまう己自身を度し難いと思いながら。なんとも言えないやるせない気持ちを抱え、弟は兄者、と縋るような声音で兄を呼ぶ。

「黄はその子を救いたいんだな。分かった。兄ちゃんも一緒に考えてみるから、黄はまず少し休もうな」

いい子、と優しく頭を撫ぜて弟に笑いかけ。目を閉じされるがままに頭を撫ぜられる弟を見ながら、さてどうしたものかと考える。
元は人であろうと今は呪そのものだというその娘。妖として成る事は難しく、成ったとしても化生に堕ちる可能性は高い。化生に堕ちればいずれ自我を亡くし、そうなれば弟の望む人に近い生き方を送れぬだろう。
弟の言う娘に直接会った事もない身としては、判断に足る情報が圧倒的に少ない。まずは会ってみるべきか、と悩む兄の視線の端で、下の弟がこちらに気づき近づいてくるのを捉えた。
頭を撫でられ続けている覇気のない彼の下の兄の様子に目を瞬かせ、やっぱりか、と頷いた。

「寒《かん》。何がやっぱりなんだ?」
「あれだろ?嬢ちゃんの呪の事なんだろ。一度夢を渡って正しく視た方がいいとは言ったんだが…この様子じゃあ、駄目だったみたいだな」
「寒は知っているんだな。兄ちゃんにも教えてくれないか?」

いいぜ、と下の弟は屈託なく笑う。

「この前、兄貴が無茶苦茶な呪いに呼ばれて、その対価に依代にしてる娘がいるんだけどよ。その嬢ちゃんが一昔前の戦で使われた呪い巫女なんだ。といっても他にも滅茶苦茶に呪を施されてて、それが混じり合って変質しちまって、呪いを撒くんじゃなくて呪いを喰う方に反転してんだけどな」

まるで直接見てきたように語る下の弟に、兄は手を止め首を傾げた。記憶にある限り、彼は主に彼の姉と共に行動していたはずである。いつその娘と出会っていたのかと疑問に思っていれば、上の弟が撫でていた手を外しながら不機嫌そうに呟いた。

「寒緋《かんひ》は昔、娘に会った事があるらしい」
「握り飯をもらったんだ。自分はもう食べる必要がないからって。あん時から結構滅茶苦茶だったから嫌な予感はしてたからなぁ…んで?兄貴は何でそんなに悄気てるんだ?まさか呪の状態を教えてくれなかったからって、拗ねて嬢ちゃんに八つ当たりしてきたんじゃあないだろうな」

目を逸らされる。どう見ても図星を指された様子に、下の弟は溜息を吐いた。
存外子供っぽい弟を見て笑みが溢れそうになるが、それでは益々弟の機嫌が悪くなると必死に耐え。兄は表情を取り繕い弟達を宥めた。

「それくらいにしてやってほしいな。黄も気にしているようだし…そうだ。寒も手伝ってやってくれないか?二人のいう娘の人に近い在り方について、黄が悩んでいるんだ」
「嬢ちゃんの在り方?」

首を傾げ、目を瞬かせる。心底不思議で仕方ないというように、下の弟は兄達を交互に見つめた。

「そんなん、兄貴の眷属にしちまえばいいじゃん。兄貴は神様なんだから、それくらい簡単だろう?」
「…は?」

怪訝な顔をする弟に、同じように困惑した顔をしながら、だってと理由を告げる。

「人に近いって事は、もう戻せないくらい呪が浸食して人には戻せないんだろ?そんなんで妖になんざ成れないし、化生に堕ちさせるわけにもいかない。なら眷属にして、時間かけて呪を解いていくしかなくね?」

それか姉ちゃん達みたいに空間を閉じちまうか、と付け足されるが、それはもはや弟の耳には届いていないようであった。
眷属、眷属か、と繰り返し呟いて。考えもしなかった選択肢の可能性を探る。

「礼を言う。嫌がるだろうが、謀ったのだから文句は言わせぬ」

楽しげに笑みを浮かべ礼を言う弟に、下の弟はうわぁ、と引きつった声を漏らす。兄としても思うところはあるものの、二人と違い詳しく娘を知らぬのだからと結局は何も言わず、立ち上がる弟の背をただ見つめていた。だが楽しげであった弟の表情が、険しさを帯びる。

「どうした、兄貴?」
「あの阿呆めが。いや、今の娘では断りきれんか」

千里を視る眼が娘と娘の友人の姿を捉える。半ば強引に娘の手を引く友の姿に、忌々しいと舌打ちが漏れた。
その光景が不意に掻き消える。隠された事に気づけば、益々その顔は険しくなった。

「兄者。寒緋。すまんが暫し留守にする。娘が拐かされた」

正確には拐かされてなどいないが、視えていない二人には分かりようがない。
表情を険しくする下の弟を横目に、兄は至極冷静に弟に声をかけた。

「御衣黄《ぎょいこう》。すぐ突っ走るのはお前の悪い癖だ。落ち着いて、相手の話をちゃんと聞くんだよ」
「分かっている。行ってくる」
「行っておいで。気をつけて」

弟の姿が消え、苦笑する。
少しでも落ち着いて話し合ってくれれば、と血の気の多い弟を思いながら、険しい表情をしながらも困惑しこちらを見つめる下の弟に声をかけた。

「たぶん大丈夫な気がするよ。黄は視えたものに対してすぐ反応してしまうから」
「あぁ、うん。そうだな…兄貴だもんな」

落ち着き、代わりにげんなりとする下の弟の姿に小さく笑い。

「まずは黄が戻ってくるまで待とうか」

立ち上がり、帰ろうと手を差し出した。



20240825 『やるせない気持ち』

8/25/2024, 3:47:33 PM