善次

Open App

安心と不安

「保険、入ってみないか」
 数年ぶりの連絡自体、嫌な予感がしていた。うさんくさい笑みを浮かべて鞄からタブレット端末を取り出す友人に、雅紀は己を守るように腕を組む。
「おれに金はない」
「まあ、そう言うなって。大した保険料じゃねえからさ。試しと思って入ってみろよ。今なら衣料用洗剤とタワシもつけるし」
「いらねえ」
「中身だけでも聞いてけって。ただの生命保険とか車両保険じゃない、創作保険だ。ものを作る人間のための、保険だ」
 また胡乱な話を――カップいっぱいに注がれたぬるいコーヒーを口につける。熱っぽく創作保険について語る友人こと雄大は、出来の悪いパワーポイントを表示させながらあれこれ説いた。
「創作、クリエイティブな仕事に携わる人間は不安定な状況に置かれることが多い。所得だけじゃない、身体面、精神面もだ。健康的に過ごせそうにない環境下で長時間の労働を求められるし、人間関係やら自分のスランプのせいでメンタルをやられるやつもいる。そんなとき活躍するのが創作保険ってわけだ。月にたった二千円お支払いいただけるだけで、こんなサービスが受けられる」
 箇条書きのサービス内容がグルグル回転しながら所定の位置におさまる。
 タクシー割引券五百円分、家事代行、お子様の送迎、病院までの送り迎え、専門家によるメンタルケア、創作に関する相談およびアイデア提供――すべて月に一度のみ。しかもすべてのサービスが使用できるわけではなく、いずれか三つを選べる、というもの。
「信用できるかこの野郎しばくぞ」
「あいかわらず短気だな、おまえは。大人気サークル『キャラメル納豆』のサークル主として、人を頼りにしたいときもあるだろ」
「公共の場でサークル名を出すんじゃねえ。商売としては、いいだろうさ。あったら助かるやつもいる。ただ安すぎるんだよ。どのサービスを組み合わせて受けるにしても、だ。それに、保険っていうのが、気に入らない」
「どうして?」
「保険はそもそも安心と不安をセットにして売る商売だ。人生なにが起こるかわかりませんから、今のうちに備えておきませんか、っていう人間の不安につけこんでる形態自体が好きじゃねえ。クリエイターのための保険というのなら、そもそもクリエイター、クリエイティブな仕事で生きる人間が生きやすい制度を整えるべきだろう。この保険はそもそもクリエイターが所属してる集団や組織と衝突する危険はねえのか? だいたいアイデア提供ってなんだ。職業によっちゃ越権行為だし著作物の権利にも関わる――」
「わかったわかった。保険というのが気に食わないんなら、言い換えよう。創作お手伝い屋さんだ。クリエイターの補佐を、仕事内容の他で支える仕事さ。どうだ?」
 雄大の妙に軽薄な態度や、お手製感バリバリのパワーポイント資料、具体性のなさ、長年の付き合い……そういうものから、雅紀はピンときた。
「さては創作保険なんて事業、ないんだろ。おまえの思いつきでおれから金をとろうってんだな」
「そんなことは――」あからさまに狼狽し、雄大。「ごめんなさい」
「ふざけんなブッ殺すぞボケナス」
「ワーッ! 待て待て! 騙そうってんじゃないんだよ!」
 フォークを突きつけて脅すと雄大は白状した。むかしからそうなのだ、こいつは。
「悪かった、正直に言うよ。おれもさ、最近ようやく仕事が落ち着いて……むかしみたいに活動したくなったんだよ。でもひとりじゃ全然だめだった。なんにもできねえんだ。で、おまえの補佐ってことなら……いいかなあって」
「最初からそう言えばいいだろうが」
「だっておまえ、信じないだろう」
「もちろん」
 がっくり肩を落とした雄大に、コーヒーをぶちまけてやりたい気持ちになりつつ――雅紀はダラけた学生時代を思い出していた。
 二人で立ち上げた同人サークル、刷りすぎてさばけなかった同人誌、締切に間に合わなくて印刷所に泣きついた夜、入稿データが消えた朝――どれもろくでもない――そこそこ楽しかった日々。
 雄大の存在が、雅紀にとっては〈保険〉だ。安心と不安をセットにしてやってくる。
「わかったよ。やろうぜ、二人で。久しぶりに」
「……ありがとな」
 眼鏡の奥の目をうっすら涙で濡らし、雄大が鼻をすする。おれはまだ完全に許したわけではないのだぞ、という態度で、雅紀は尋ねる。
「んで、なにやりてえの」
「マンションポエム擬人化麻雀バトルとかどうよ!」
「またテメェは意味のわからん寝言をほざきやがって! 描くのはおれだぞ! おれが描きてえのは甘酸っぺえ青春なんだよッ!」
「得られなかった幻にいつまでもしがみついてんじゃねえ! 時代は闘争だ! 常に新しい考えが勝つんだ!」
 いい年をしたオッサンが喚き始めたことで二人して店を追い出され、冷たい北風が吹きすさぶ街を歩く。どこへ行くでもなく、ただ口論を続けるためだけに、二人は歩いた。

1/25/2023, 12:17:59 PM