落ちてゆく、という言葉は英語だと「falling」。英語で「fall」は秋も意味する。
もともとは「Fall of the leaf(落葉)」が短縮されてfallだけで秋を示すようになったので、これは落葉の季節、という意味になる。
春の花も、夏の長雨も、秋の落葉も、冬の雪も、すべて落ちてゆくものにはかわりないのに、なぜ我々は秋にだけ「落ちる」イメージを見出したのだろうか。
秋の夜は釣瓶落とし。
落葉だけでなく、秋はこの世界でもっとも光り輝く太陽が「落ちてゆく」時期でもある。そうなると当然、森羅万象すべてが闇に落ちてゆく。落ち切った先にある冬には、「ああ、落ちていくな」という叙情はもう持てないだろう。
我々は底にいるのだから。
冬の果てにある冬至、あるいはクリスマスは、欧州においては太陽の再臨を願う祭りでもあった。そう考えると冬の底には案外希望が見える一方で、秋というすべてが落ちてゆく日々はよりセンチメンタルに感じられるのかもしれない。
重力の中で生きていく我々に、「落ちてゆく」ことに抗うことは難しい。
無重力状態でふわふわとまどろむ夢をみるか、あるいは重力に身を任せて、布団の中でぐっすりと眠るか。
落ちた先には土がある。
受け止めてくれる何かが我々のすぐそば——足のすぐ裏にある限り、落ちることも、転ぶことも、じつはさほど怖くないのではないだろうか。
11/24/2023, 4:41:05 AM