「子供の方相氏か」
眉を寄せ、冬玄《かずとら》は息を吐いた。
居間に沈黙が下りる。重苦しい空気に、睦月《むつき》は泣きそうに表情を歪めた。
「ごめんなさい。迷惑をかけて」
「睦月のせいじゃないよ」
俯く睦月の背を撫で、燈里《あかり》は優しく微笑んだ。
睦月の目覚めを待って、燈里たちは彼女から詳しい話を聞いた。
夕暮れの見知らぬ公園の夢。揺れる無人のブランコ。四つ目の面をつけた子供。
夢から目覚めたというのに、その子供が現れ告げた言葉。
「鬼を閉じろ、か。言葉通りなら、村から追いやった鬼をどこかに閉じ込めろってことだけど」
冬玄を見ながら楓《かえで》は首を傾げる。その視線の意味する所を知って、冬玄は嫌そうに眉を顰めた。
「その鬼が俺だって言いたいのか」
「もしくは僕かの二択だろうさ」
冬玄の視線を受け流し、楓は肩を竦めてみせる。
「一度堕ちかけた守り神に、人間の記憶に巣食う妖。燈里と睦月に厄はついていないんだから、それ以外に思い当たることはないだろう?」
「だとしたら、燈里の夢に入り込むはずだ。ちびの夢に方相氏が現れた理由が分からん」
「睦月の素質によるものじゃないかな。ヒガタの件で色々夢を見たらしいし……とはいえ、確かに理由としては弱いかな」
ちらりと俯く睦月に視線を向け、楓は溜息を吐いた。
睦月が見た夢の内容だけでは分からないことが多すぎる。方相氏の告げた言葉も曖昧であるが故に解釈が困難だ。
そもそも四つ目の面の特徴から方相氏だと認識しているが、それも本当かどうか判断はつかなかった。
「方相氏が鬼を追いやるのは、追儺《ついな》の方法として正しい。でも追儺では鬼を閉じ込めることはない。邪を払う柊を立てる、四方を打つってことは、つまり鬼を封じ込めているって意味にとれる……なんで鬼を封じなきゃならないんだろうね」
「元は方相氏ではないのかもな。子供を従え鬼を追うのが方相氏の認識だ。獣神として在ったこともあるらしいが、子供の方相氏は人間の認識に当てはまらないだろう。ヒガタのように混じりモノか、形を模しただけという可能性が高いな」
冬玄と楓の話に耳を傾けながらも、燈里は睦月が心配で堪らなかった。
俯き、必死で泣くのを耐えている姿。睦月のせいではないのだと何度言葉にしても、彼女には届いていないようであった。
「睦月……」
固く握り締めている睦月の手を繋ぐ。小さく肩を震わせ睦月は顔を上げて燈里を見た。
「燈里ねぇ」
「大丈夫。方相氏は鬼を追い払ってくれる存在だから、怖くないよ」
「でも……」
方相氏が本物ではなかったとしたら。そう言いかけて睦月は口を噤んだ。
代わりに力なく笑みを浮かべ、繋いだ手を握る。強がりながらも不安を隠せない睦月に燈里は安心させるように微笑み、繋ぐ手に力を込めた。
「燈里ねぇ。あのね……」
何かを言いかけた睦月の笑顔が消えた。
「睦月?」
燈里の呼びかけに答える余裕はないのだろう。表情を強張らせ辺りに視線を彷徨わせている睦月は、不意にびくりと肩を震わせて繋いだ手を離し、背後を振り返った。
「睦月、一体何が……っ!」
睦月を追って視線を背後に向け、燈里は息を呑んだ。
――鬼は外。
何故気づかなかったのか。無感情でありながら子供特有の高めの声音が辺りに響く。
居間の入口に立つ異形の姿から目を逸らせない。
黒い衣に朱の裳を着た小さな姿。鬼のような形相の面の、その金の目は四つ。
「方相氏……」
面の奥の黒い目が、逸らすことなく真っすぐに燈里たちを見据えている。息苦しさを覚えるほど、力強い意志を湛えた目。
燈里は喘ぐように浅い呼吸を繰り返しながら、救いを求めて冬玄たちの方へと振り返った。
「え……?」
冬玄、と名を呼ぼうとして、燈里は目を見張り硬直する。
冬玄と楓の姿がない。それどころか、そこは見慣れた居間ですらなかった。
「ここは……どこ……?」
一面に広がる青い花。空は厚い雲に覆われ、陽を見ることは叶わない。
ふと、遠くに誰かの姿を見た。
目を引く金の煌めき。稲穂を思わせる長い髪の誰かがゆっくりと去っていく。女なのか男なのかは分からない。その腕には何かが抱かれているように見えた。
「鬼は外。鬼は外」
背後で声がする。
その言葉を合図に、三人の方相氏の姿をした子供たちが去っていく誰かを追いかけていく。
「村から外へ、遠くへ追いやれ」
「柊立てて、転じて内へ」
「四方を打ちて、閉じ込めよ」
外だというのに声が反響し、まるで四方を囲われているような錯覚に燈里は強い眩暈を覚えた。
去っていく誰かが鬼なのだろうか。追いかける方相氏たちは、しかしその鬼との距離を縮められていない。
「鬼は外。外から内へ」
無感情に声は告げる。遠くから鬼は外、と声が返る。
背後で何かが崩れ落ちる音がした。
小さな呻く声。倒れる睦月の姿が思い浮かび、燈里はふらつくのも構わず立ち上がった。
「睦月!」
「――燈里?」
困惑した声。
はっとして、燈里は辺りを見回した。
いつの間にか辺りはあの青い花が咲き乱れる外ではなく、見慣れた居間に戻っていた。
振り返れば、脱力したように睦月が椅子に座っている。戸惑うように視線を彷徨わせ、燈里と目が合うと一筋の涙を流した。
「燈里ねぇ……」
「大丈夫。ここにいるから」
離れた手を再び繋ぐ。大丈夫だと繰り返せば、睦月は肩を震わせ静かに泣き出した。
「燈里。一体何があった?」
「僕には何も感じられなかった。急に動きが止まって、次の瞬間には立ち上がったんだよ。記憶を共有しているはずなのに、今も何も分からない……燈里は何を見たんだい?」
険しさを滲ませる冬玄と楓の声に、燈里は視線を向ける。
先程見たものを告げようと口を開き、だが溢れ落ちたのは全く別の言葉だった。
「勿忘草だ……」
一面に咲き乱れる青い花。浮かぶその名に、燈里はそっと目を伏せる。
忘却を恐れる小さな花は、何の記憶を留めようとしているのか。
金の髪の鬼。それを追う子供の方相氏。外から内へ、鬼を閉じ込めるという言葉の意味。
「燈里。何を見たのか教えてくれ」
側に寄り、冬玄はそっと燈里の肩に手を伸ばした。
だがその手は一瞬だけ止まる。
「冬玄?」
「いや、何でもない」
そう言って冬玄は笑うが、燈里は不安げな面持ちで唇を震わせる。けれど何も言えずに、睦月と繋いだ手に力を込めた。
「気にするな。一瞬だけ何かを感じたと思ったんだが、気のせいだったようだ」
燈里の頭を撫でながら、冬玄は気のせいだと繰り返す。
自身に言い聞かせるような響きを持つその言葉。感じた冬玄も違和感が拭えないのだろう。
「俺のことはいい。それよりも話を聞かせてくれ。勿忘草は何を意味しているんだ」
だが今は燈里の見たものが何であるのかの方が重要だ。そう結論付けて、冬玄は燈里に問いかける。
違和感が予感に変わる。
子供の声音で鬼は外と囁くようで、冬玄は密かに拳を握りしめた。
20260202 『勿忘草(わすれなぐさ)』
2/3/2026, 9:48:56 AM