寂しさ

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私はなんだかんだで不幸が好きなんだろう。

昔からよく情緒が不安定で、泣きながら太ももを叩いたり呻き声をあげて髪をぐしゃぐしゃにするのが日常であった。

布団から全く動くことができない日もあり、1日を自己嫌悪の涙で過ごした。

そんな日常から逃げたくて逃げたくて。

現実と向き合えば、当たり前に自分よりも優れた人がいて。

努力家を見て自分の怠惰を恨み、善人を見ては自分の愚かさが許せなくなった。

インターネットには自分と似た境遇の人が沢山いて。

どっぷりと浸かったら、外には出られなくなった。

もちろん流れてくるのはマイナスな話題ばかりだ。

だがその中にも、今日のテストがよかった、友人とのカラオケが楽しかった等のプラスな話題も少しだけ流れる。

外から見れば嬉しい話題だ。でもこういったものは反応をもらいにくい。

当たり前だ。私含めその界隈は不幸と付き合っている人が多いからだ。いつでも隣の芝は青い。

プラスを排除してマイナスのみを残す。それが私が所属している小さな小さな世界。

傷の舐め合い。

そんな私にも安定した時期が来た。

自己嫌悪に蝕まれる機会がかなり少なくなった。

安心できた。

安心できたはずだった。

でもそれは私の人生じゃなかった。

常に不安と生活を共にしてきた私にとって、隣人が居なくなることが一種の不安になったのだろう。

心に空いた穴、そこに素材の違う何かを無理やり押し込んだような。

そんな無を感じた。

あんなに求めていた幸せ。

人が嬉しい何かを発信する度に恨んでいた幸せ。

自分には訪れることなどないのだと思っていた幸せ。

手を伸ばせば掴める位置に今、私はいるのだろうか。

それとも今いる場所はまだまだ不幸の延長線上で、自分がそう感じているだけであって、本当の普通とは違うのか。それはまだ分からない。

きっと私は一生幸せになれない。

私の幸せは不幸と共にあることだと気づいてしまった。

今日も光と闇の狭間で私は息をしている。

12/2/2023, 2:29:37 PM