はた織

Open App

「いつかは先輩の背中を追い越してみたいんだ」
 県大会を一週間後に控えているので、本野は今にも走り出しそうなほどに高揚していた。向かいの席にいる照井は、つまらなそうに耳を傾けている。
「はあ、そう……。青春しててキラキラしているね。私なんか、しょっちゅう父親の背中を蹴りたくてうずうずしてる」
「またストレス爆発したの?」
「あいつ、冷蔵庫にあった私のバナナを勝手に食べたんだよ。部活帰りに食べようって、とって置いたのに。そのぐらい自分で買ってこいよって、腹が立って空になった高級ウイスキーを全部ベランダから叩き落としてやった」
 照井は話しながら、爪先を何度も何度も机に突っついた。彼女の怒りの鼓動が爪先に響く。指や手の甲には、小さな窪みがいくつもできていた。
 また苛立って自分の手を噛んだのかと本野は察した。照井の家庭不和を何度も聞いたが、子どもに手を上げない親であり、子どもを自傷癖に陥れる親であるとようやく理解した。
「本当に蹴っちゃったら?」
 照井は嫌そうな顔をして話題を逸らした。持っていた紙パックのストローに口を付けるも、またも不機嫌になった。
「これ、キウイが入ってる割には全然味しないじゃん」
「思っていたのと全く違う?」
「うん、美味しそうだなと思った自分が馬鹿だった」
 随分と卑下するものの言いように、本野は黙ってしまった。沈黙が流れるも、机の下から足の動く音が聞こえる。本野はずっと走るように何度も踵を上げ下げしていた。
 陸上部の三年生と共に走れるのは、県大会で最後だ。その最後の時に、先輩の須々木を追い越したいと闘争心に燃え、妄想に耽っていた。ただ、あっという間に試合が終わったらどうしようと不安に顔を青ざめる。
             (250621 君の背中を追って)

6/21/2025, 1:22:40 PM