そこは片田舎にある町外れの森の中。昼でも光を通さない程深い森の舗装されていない獣道を、ただひたすらに進んでいくと開けた場所に出る。
そこには湖と立派な洋館があり、私がその洋館のノッカーを軽く叩くと扉が開かれ、館の中へと入って行った。
『ようこそおいで下さいました。さぁ、こちらにお座り下さい。あなたのお話をお聞かせ下さい。』
広いロビーに入ると、まるで待っていたかのようにその人は出迎えた。勧められた席に座ると、直ぐに暖かい紅茶とお菓子が出され、話すように促される。
私は今日ここに来た経緯を少しずつ話し始めた。
十年も付き合ってた彼がいた事。
私もそろそろ結婚したくてそういう話をしたら、軽くあしらわれた事。
ちゃんと話し合いたいって言ったら年齢を理由に馬鹿にされたから、数日前に別れたけどあまりにもムカつくからアイツの記憶を全部消し去って欲しくてここを訪れたのだ。
十年も付き合ってたし、同棲もしてたからこのまま結婚するものだと思ってたけど、相手はそうじゃなかったみたいだし⋯⋯十年も時間を無駄にした自分にも腹が立っていた、
『一思いにアイツとの全ての記憶を消しちゃって下さい。
いつかまたあった時に話しかけてきても無駄なように⋯⋯これは私からアイツに対しての復讐なので、出来れば全部消した後の記憶は綺麗なモノが良いです。その条件なら何だって良いのでお願いします。
あと、これは本当に出来たらで良いので良縁とか結べるって聞いたので私に合う人いればお願いできますか?』
『それはお辛い出来事でしたね。ご安心下さい。あなたのお悩みはその願いも含めて、私共が解決してみせます。
さぁ、今回の担当医達の所までご案内いたします。こちらへどうぞ。』
そういうと私の手を取りロビーの奥にある左端の部屋へ案内される。
コンコンコン、と。控えめなノックの後にどうぞと声がかかり、案内してくれた彼女が扉を開けてくれた。
手の仕草だけで中へと促され私は彼女にお礼を言うとその部屋へと入る。そこには前髪で片目を隠した少女とふんわりとした雰囲気の少女に子供の描いたような目を瞑り口を閉ざした仮面を被っている人がおり、椅子に座るよう言われる。
私は指示通りに座るとふんわりとした雰囲気の少女が早速話を切り出した。
『特定の人物との思い出摘出と良縁繋ぎ、摘出した空白分の記憶は綺麗な物なら何でもということでしたが内容に間違いはありませんか?』
そう微笑みながら言う彼女に、私は問題ないと答えた。
『摘出した記憶は特殊な事例でもない限り戻る事はないです。
また、新しい記憶で空白期間を埋めると、他の人達との記憶に差異が生じてしまうのでその点注意が必要になります。
良縁は繋いだとしても出会える時期は個人差があるので、その事を踏まえた上で、この同意書にサインして下さい。』
そう言い終わると1枚の紙を、私の目の前の机に差し出す。
それは彼女の説明通りの内容が書かれた同意書であり、最後に摘出したモノは手術代としてもらうため、返せないとも書かれていた。
私はその事に同意しサインすると彼女に差し出す。彼女はそれを確認すると、引き出しの中からファイルを取り出して中にしまい私に向き直る。
『それでは早速施術をはじめます。壁際のベッドで横になって下さい。』
そう言った彼女の指示通り、指定されたベッドに横たわる。
すると彼女は不思議な音色の鈴をゆっくりと鳴らし始めた。その音はとても心地が良く、聞いている内に少しずつ眠くなってきて―――私はそのまま眠気に抗うことなく⋯⋯ゆっくりと意識を手放した。
目が覚めると知らない天井が視界に広がっている。
辺りを確認しようと上体を起こすと、それに気付いた少女が話しかけてきた。
『おはようございます。お加減は如何ですか?』
ふんわりとした雰囲気の少女に私は大丈夫ですと答えた。そういえば、この森にある絶景スポットに行こうとして迷子になって休ませてもらっていたなと思い出す。
『休ませて頂いてありがとう御座います。しかも居眠りまでしちゃって⋯⋯ご迷惑をお掛けしました。』
そうお礼と謝罪を述べてから私はその少女の案内で部屋を出てロビーへと行き、今度は深々と頭を下げてからその場を後にする。
出る前に目当ての絶景スポットへの道筋を教えてもらっていたから、深い森の中⋯⋯しかも舗装されていない獣道でも迷わず進むことが出来、無事にその場所に辿り着くことが出来た。
それは夕暮れの綺麗な場所で、流れる川のせせらぎと夕日に照らされた全てにオレンジが溶けてとても幻想的な風景だ。
私はその景色を何枚か写真におさめると暗くなる前にあの館の人に教えてもらった道筋を辿り帰路についた。
◇ ◇ ◇
それからも色々な所で綺麗な景色を見に行っては写真におさめている。その趣味がきっかけで今の旦那に巡り合い、半年くらいで結婚⋯⋯子供も生まれた。
子供もいるから今はあまり頻繁には行けないけど、たまにお母さん達が面倒見てるからと旦那と一緒に送り出してくれるのだ。
そんな日の帰り道。旦那がトイレで席を外している間に、私が両親達へのお土産を見ていた時。
『維月(いつき)』と私の名を呼ばれて、反射的に振り返ってしまう。
そこには知らない男性が立っていて、私の顔を見るなりニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべて話しかけてくる。
要約すると、どうせ今も独身だろ? 俺が結婚してやるから感謝しろ。みたいな内容で、コイツは何を言っているんだ? と本気で思った。
『あの、失礼ですがどちら様でしょうか? 私達、はじめましてですよね?』
そう言った私にやはりその男はニヤニヤしながら、そういうフリはいいからと取り合わず⋯⋯不信感と不快感を感じる。
その辺りで旦那が来てくれて、知り合いではないこと。誰かと勘違いしているみたいだと言ったら彼が追い払ってくれた。
先程の不審者は酷く傷付いた様に、本当に俺の事覚えてないの? なんで? っと仕切りに言いながらも結婚してたなんて聞いてないとか、わけの分からないことを喚き続けたので警察に通報しておいた。
その後聴取されて一応被害届も出したので、何とでもなるだろうと家へと急ぐ。
帰宅して何とか買えたお土産を渡して両親にお礼を言い、あの変人のせいで遅くなってしまったので、今日は泊まってもらう事になってしまい謝罪する。
両親は遅くまで孫と遊べる! と言って気にしないでって言ってくれたのがせめてもの救いだ。
久々の息抜きと賑やか過ぎる食卓に、幸せだなと心底思いながら⋯⋯私は可愛い我が子を抱き締めるのだった。
4/1/2025, 1:32:40 PM