浅井

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お題「繊細な花」

 しとしとと、世界中に降りそぼつような雨だった。
 水の中にいるような、そんな感覚に陥らせるような、雨が降っている。僕はそんな天気にすぐに嫌気がさして、憂鬱に任せて外を見やるだけだった。
 だけど、彼女は同じ光景を見て何を思ったのか。辛抱ならんと言わんばかりに、とても楽しそうに、白いワンピースの裾を翻しながら縁側から飛び出していった。雨に降られてはきゃあきゃあとはしゃぐ声を上げている。時折うひゃひゃ、みたいな品のない笑い声すら混じっている。元気だ。
 僕と彼女ではたぶん、見えている世界が違うんだろうな、と思う。

 僕は重い腰を上げた。彼女はこのまま庭で存分にはしゃぎ倒すであろう。ならば拭うためのバスタオルを取りに行かねば。
 彼女は遊び終わって満足したら、多分そのまま上がってくる。自分がびしょ濡れだろうと、歩いたあと廊下がぐちゃぐちゃになろうと、何一つお構い無く。どうせ床を拭くのは僕になるのだろうから、そうするくらいなら今のうちに備えておいた方が労力が少なくて済む。
 戻ってきて、縁側の方へ座り直す。畳んだバスタオルを脇におく。さっきよりも少し近いところにいる彼女は、もう濡れ鼠であった。

 ほんの先程まで水滴を弾いてきらきらとしていた艶やかな黒髪は、雨が染み込んで、重そうにぐっしょりとして、水を滴らせている。髪と同じように、服にも先ほど翻った軽やかさはもう既にない。ワンピースはしとどに濡れて、下の肌色がうっすら透けている。

 あれみたいだ、何だっけ。そうだ、サンカヨウの花を思い出す。

 白い花びらの素朴な花。長雨に濡れた花びらは透明になって、ガラス細工のようになる花だ。色々と条件が重ならないと花びらは透明にはならず、どしゃ降りの雨に降られると、その雨粒の重さにさえ耐えられずに簡単に散ってしまうほど、繊細な花らしい。

 彼女の内面はともかくとして、外見は清楚で儚げな人だから、サンカヨウのようだと言ってもそれほど齟齬はないのかもしれない。

 そんなことをつらつらと考えていると、へぐしっ、と些か豪快なくしゃみが聞こえた。寒そうに自分の体を抱き締め、腕を擦っている彼女と目があう。

「また何か考え込んでた?」

 彼女が首を傾げながら問う。

「君がまるでサンカヨウの花みたいだなと思って」

 そう答えると、彼女の首を傾げる角度が増した。おそらく、サンカヨウの花を知らないんだろう。それがどういったもなのかを説明する。

 彼女は雨に打たれながら、うんうんと話を聞いてくれる。
 何故、屋根の下に入れば良いのにわざわざそこで。何故。

 そう思いながらも説明を続けた。話終えるくらいのタイミングで、もう一度彼女はくしゃみをする。

「私がその何とかっていう繊細な花だったら、今の衝撃で散ってた」
「君はサンカヨウじゃないから散らないけど、風邪は引くかもね。冷えきる前にちゃんと拭こうね」

 そう言って彼女を屋根の下に引き寄せて、タオルで包む。思った以上にぐっしょぐしょだ。お風呂上がりの濡れそぼった犬とか、何かこんな感じだよなと思いながら、わしわしと拭いてやる。とたん、

「雑!拭き方が雑!私が何とかって繊細な花なら散っちゃう!」

 彼女が、上手いことを言ってやったぞと言わんばかりに得意気な色を顔に滲ませながら不満の声をあげ始める。
 うん、僕はいらないことを言ってしまったかもしれない。

 その懸念の通りしばらくの間、僕が何かと彼女を雑に扱う度に『私がサンカヨウの花なら今ので散っていた』と不満を主張するのが、彼女のマイブームと化してしまった。

6/26/2024, 9:47:22 AM