わをん

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『もう一つの物語』

右と左どちらへ行くか。酒場で出会った戦士と魔法使いどちらを仲間にするか。高貴な姫君と共に旅してきた仲間どちらを花嫁に迎えるか。人生には選択が付き纏い続けている。
「わしの配下に降ればお前の命だけは助けてやろう」
世界を闇に陥れた魔王は圧倒的な力で討伐隊の仲間を屠り、ひとり残した私に向かってそんな事を言う。諫言だ、と断じて歯向かった事はこれまでに数知れない。その度に私もみなと同じ運命を辿らされ、慈悲深き女神とやらに息を吹き返させられるのを何度も経験してきた。旅の仲間たちは死しても死ねぬ役目を与えられることに嫌気が差して討伐隊を辞していった。最初から残っているのは私と妻だけ。
「またふたりだけになっちゃったね」
「……あのとき姫さまと結婚していればよかった」
笑いかけた妻はその一言で表情を凍らせ、そして去っていった。
ひとりきりで魔王の城へと赴く。道中に魔王の手下が何度も立ちはだかったが、羽虫のごとくに煩わしいだけだった。それほどまでに私は強いのに、どうして魔王を倒すことが出来なかったのか。胸に決意を秘めて先へ先へと進む。
旅の伴を連れずに現れた私に魔王は愉快そうに笑いかける。
「わしの配下に降りに来たのか?」
「そうだ」
その返答に一層笑みを深めた魔王が手招きをした。私は魔王の胸に抱かれる。
魔王を倒す物語は私の物語ではなかった。そうとしか考えられない状況に最初から提示されていた選択を受け入れる。これまで描いてきた魔王を倒した後の世界のことが一抹思い出されたが、闇に身体を融かす感覚の心地よさににすべて飲み込まれていった。

私の前にかつての私のような目の輝きを宿した者が立ちはだかる。あれが魔王を倒す物語を紡ぐ者ならば、羨望とも嫉妬とも言える感情を掻き立てられるのも納得がいく。私の成り得なかった存在は私を容易く倒し、魔王にも打ち勝つことができるのか。見届けるために全力を賭すと決めて柄を握った。

10/30/2024, 5:19:03 AM