猫宮さと

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《だから、一人でいたい。》
私の隣を歩く彼が不意に立ち止まったかと思うと、私の手を掴み取って囁いた。

「僕は、貴女を大切にしたいと思う。」

赤い夕焼けの光に照らされたその顔は真剣で、その燃えるような瞳は揺らぐ事なく私を見つめていた。

大切に…私を?

その言葉は、私にとってあまりにも大き過ぎた。
もちろん、嬉しい。
けれど、それ以上にこんな言葉を受け取っていいのか。
地面に足が着いている感覚がない。視界が歪む。

その衝撃に声も出せずに立ち竦んでいると、私の手を掴んでいた彼がハッと表情を曇らせその力を抜いた。

「…申し訳ありません…。」

咄嗟に目尻に手をあてて気が付いた。視界の歪みは、自分の涙が原因だった。
瞬間、溢れる涙のように自分の感情が決壊した。
喜び、悲しみ、疑問、嬉しさ、苦悩。
謝らせてしまった申し訳なさ。

それでも私は声が出せず、めちゃくちゃになった感情に背中を押されるままその場を走り去った。

全速力で走り続け息も絶え絶えになった私は、自室に入り、背を向けたままその扉を閉じる。
そして力尽き、ずるずると扉に背を預けへたり込んだ。

彼は追っては来なかった。でも、今はそれでいい。

彼は本来、出会えるはずのない人。
私が偶然、何の因果か分からないけれどこの世界に来れただけ。
しかも、私が闇の者だという彼の疑いは晴れてはいない。にも関わらず、彼は私が人間らしい生活を送れるように気を配ってくれていた。初めから今まで、ずっと。

否が応にも期待してしまう。彼のあの射抜くような眼差しに。
いや、もう何度も射抜かれている。
初めの頃と変わり、最近は何かと笑いかけてくれている。
その笑顔にどれだけ心を射抜かれたか。
一人で動ける時間も増えている。監視なんて名ばかりだと、勘違いしたくなるぐらいに。
ただ一緒に暮らしている。そう思い込みたくなるぐらいに。

だけど、心の一番弱い部分を守ろうとする自分が叫びだす。
本当にそんな期待を抱いてもいいのか?
彼は誰に対しても誠実だ。だから今までも無意識で人間扱いされてきたに過ぎない。
ただ表に出していなかった意思表示をしただけで、どうせこれまでと何ら変わらない。
それが証拠に、あの時彼は手を離したじゃないか。
勘違いするな。お前は、彼に愛されているわけではないのだ。

なぜ。なにを。どうして。いつから。どうやって。

大切にしたい。
彼の言葉に、湧き出てくる感情が選り分けられないくらいにぐちゃぐちゃにかき回される。
涙と一緒に次々溢れ出してくる想いは、暮れ泥む空のように光を影へと塗り替えていく。

この空が明ける時には、必ず笑ってみせるから。
頭の中を選り分けて、整理して、空っぽにして。
「昨日はごめんね。」と、いつも通り過ごせるように戻るから。

だからお願い。
今だけは、一人にさせて。

7/31/2024, 10:12:50 PM