【相合傘】
「体育館で跳ねるボール。目玉がギョロリと動く美術室のアポロン像。家庭科室で飛び回る包丁。廊下をうろつく人体模型。勝手に曲を奏でる音楽室のピアノ。一段増えて十三段になる屋上への階段。……現在集まっている情報は、以上です」
部室の黒板に箇条書きをしていた女子が、チョークを置いて振り向く。ついでに眼鏡をくいっと上げる。
「うーん、どれもありきたりで、ぱっとしないわね……」
新聞部部長の河合菜奈は、パイプ椅子にもたれて腕を組んだ。
「しかも、七不思議には一個足りねぇし……」
河合の隣で、同じように腕を組んだ副部長の相原浩也が唸る。
夏休み前に発刊する夏季号で、学校の七不思議を特集しよう――先週の会議でそう決まったところまではよかった。しかしこの学校、設立からまだ四年と歴史が浅く、七不思議のネタがない。手当たりしだい生徒たちに聞き込みをして集めた結果が、たった六つの、どこの学校でもありそうな、手垢のついた怪談だ。
新聞部の狭い部室では、河合と相原のほかに、六名の部員たちも唸っていた。
「ほぼ真夜中に勝手に動くタイプで、ネタ被りも甚だしいし……」
「夜中になると部屋から出てきてこっそり台所漁る引きこもりのうちの兄みたいな生活してるわよね、怪談って」
「おいそれ以上はやめておけ」
「真夜中勝手に動くシリーズなら、二宮金次郎像が校庭百周する、とかどうでしょう?」
「うちの学校にそんな像はないし、絵面がもはやギャグ漫画なんよ」
「薪背負った金次郎ちゃんに百周もさせるとか、鬼畜の所業では?」
「そうだそうだ、怪談になんの恨みがあるってんだー」
「そもそも、歩きスマホならぬ走り読書は、危険行為ですよ」
「そもそも、じゃねーよ、そもそもなんで金次郎を走らせることになってんだよ」
部員たちはめいめい好き勝手なことを口にして、話がいっこうにまとまらない。河合はべつの話題を投げることにした。
「そういえば、鉄板のトイレネタはないの? うちにもいるでしょ、花子さんの一人や二人」
「うーん、一人ぐらいなら、うちの学校に移住してくれる可能性もなきにしもあらず、ですが……」
「目撃談、ないんだよなぁ」
「うちの学校のトイレ、毎日お掃除のかたが入るから、白くてピカピカですもんね。花子さん好みの住環境ではないでしょう」
「花子さんすら駆逐される時代か……」
河合は頭を抱えた。
「もう、いい感じのトイレネタをでっち上げるしかなくね?」
「いや、それは記者として恥ずべき行いだから」
「さすが部長、そういうのは厳しいな」
「トイレなら、ひとつだけ心当たりがあります」
長机の端で手を挙げた者へ、いっせいに視線が集まる。さきほど板書していた眼鏡女子だ。二年生の太田春子、字が綺麗なので、会議の書記を任されている。
「なになに、聞かせて!」
河合は目を輝かせて身を乗り出した。
「では、女子トイレの相合傘について、お話しますね」
新聞部全員の耳目を集め、太田は静かに語り出した。
三階の女子トイレの一番奥の個室には、ときどき相合傘の落書きがあらわれる。
最初は、学年で人気のイケメン男子と、同学年の女子だった。ハートで飾られた相合傘の記号とともに、二人のフルネームが書かれていた。
人気のイケメン男子と付き合いはじめた女子生徒の浮かれたマウンティングか、はたまた叶わぬ恋を落書きで慰めたものか。あるいはほかの生徒による悪戯か。
「部長はどれだと思います?」
「え? そうね……浮かれ女子はいちいちトイレみたいな辛気臭い場所には書かないでしょ。書くなら黒板の隅とか机とか窓でしょ。叶わぬ恋なら、よけい、どこにも書かないでしょ。人に見つかってからかわれたらおしまいだもの。だから、悪戯かな?」
「ご明察。そうです、名前を書かれた女子には心当たりがなく、相合傘は悪戯だったようです」
人気イケメン男子と並んで名前を書かれた女子生徒は、落書きが見つかったその日のうちに噂になった。翌日、トイレの落書きは消えていた。渦中の女子生徒が消したのかもしれない。鉛筆書きだったので、消しやすかったようだ。
「いや、普通に考えて、掃除の業者さんが仕事してくれただけじゃね?」
「人気イケメン男子を好きなほかの子が、嫉妬に狂って消した可能性も」
「どれでもいいから、まずはハルちゃんの話を聞きましょうよ」
相合傘の効果は、噂の三日後にあらわれた。名前を書かれた女子が、人気イケメン男子と本当に付き合い出したのだ。
「あっ、お互い意識しちゃったやつだ」
「もうそれ悪戯じゃなくて、やんちゃな恋のキューピッドなんよ」
「さすがイケメンは手が早い……」
「でも、七不思議って言うからには、めでたしめでたし、にはならないんでしょ?」
「ええ、ここからが本題です」
太田はくいっと眼鏡を上げる。
しばらくして、例の個室に、再び相合傘の落書きがあらわれた。人気イケメン男子の名前と、その彼女ではない別の女子生徒の名前が書かれていた。女子生徒の名前はすぐ噂になって出回った。落書きが消えた翌日、人気イケメン男子は、新しい噂の女子と付き合い始めた。
「……待って。それ、たんに男の子側が移り気なタイプってことはない?」
「噂になるとすぐ、『もしかしてあの子俺のこと好き?』って気になっちゃうやつかー」
「それでお付き合いにもってけるの、さすがイケメンよね。っていうか、前の子はどうしたのよ、前の子は」
「あっ、ここからが怪談というわけね。続けて、ハルちゃん」
人気イケメン男子を新たな彼女に奪われた最初の女子生徒は、あっさり諦めたという。彼の美しさは私には荷が重すぎた、推しが一瞬付き合ってくれただけでも人生幸せだった、これからはこの思い出を胸に強く生きていく、と。
「よく訓練されたファンね……」
「もはや洗脳なんよ」
「顔さえよければ女の子傷つけても許されてしまうの怖いよね、という現代の怪談か?」
その後、人気イケメン男子とは関係のない、違う男女の組み合わせの相合傘があらわれた。それも翌日には消されたが、噂になった二人は交際に発展した。そんなことが数回続いたので、三階の女子トイレの一番奥は「誰かに鉛筆で相合傘を書いてもらってから消すとお付き合いができる個室」として、二年生の一部で密かに流行っている――
「いや、怪談じゃねーじゃねーか!」
「ただの恋愛成就パワースポットだった」
「そこは怖い話期待しちゃうだろ! トイレなんだから!」
騒ぐ新聞部員たちの前で、太田は冷静にくいっと眼鏡を上げた。
「非科学的なことも、不思議のひとつ。七不思議のすべてが怪談である必要はないでしょう」
「たしかに……」
「それもそうかも……」
部長の河合と副部長の相原が、そろって納得しそうになっている。
「ちなみに人気イケメン男子のその後ですが、一ヶ月後に五股が発覚し、全員からビンタを食らっていました。ついでに、最初の子からも、推し降り宣言とともにグーで殴られていました。彼女と付き合った時点で三股してたそうで」
「ただのクソ野郎だった」
「民法七三二条の敵じゃん」
「やはりそやつの存在こそが怪談か……」
「見てきたように言うけど、ハルちゃん、もしかして」
「ええ、うちのクラスのことです」
「今度そいつ取材させて?」
河合が目を輝かせて長机に身を乗り出す。
「おまえ、イケメンに興味あんのかよ」
横から相原の茶々が入る。
「カオには興味ないわよ。クズ野郎の生態と恋愛遍歴に興味あるだけよ」
「しかし、ゴミ野郎が五股かけていたとなると、相合傘のおまじない効果も怪しいものですね」
「相合傘からすれば、付き合うのがゴールかもしれない」
「少年漫画脳か」
「こういうのって、相合い傘自体に効果があるわけじゃなくて、噂をたてて、お互いを意識させるための儀式ってことでしょう」
「落書きを消す、までが儀式のサイクルに入っているのは、トイレの美観を損ねず合理的だよね」
「でも、不思議だなぁ。付き合ってないうちからヘンな噂立ったら、逆にぎくしゃくしそうなものだけど」
「どのカップルもすんなり付き合ってるのは、相合傘のおまじないがそういう効果のものだと思い込んでるからじゃないかな?」
「最初のイケメンがすんなり付き合いましたからね。しかも二回、立て続けに」
「なるほど。五股野郎もたまにはいい仕事するな」
「もともと噂になるような間柄じゃないと、誰かに相合傘描かれたりしませんよね。だから、勝算の高いカップルばかり描かれて、そのままくっついたんでしょう」
「嫌がらせで、眼中にもない男と相合傘される可能性もあるけどね。ほかの男性とくっつけて恋のライバル蹴落とすとか」
「そういうのもありそうだし、実際の成婚率は七割程度じゃないかな。噂に尾鰭がつくには充分だろ」
「しかも、五股野郎のように、すぐ別れることもできますからね。お試し感覚で付き合ってみようかな、という気になりやすいのでは?」
「わかるー。私も、もしフリーな人の名前書かれたら、試しにちょっと付き合ってみようかなってなるー」
「つまり、相合傘の話は不思議でもなんでもなく、ただのスリーセット効果やウィンザー効果やピグマリオン効果を掛け合わせたものだった、と……」
「待って部長、急によくわからない専門用語出てきた」
「気にしないで。それっぽいこと適当に言ってるだけだから」
「相原、私の台詞を勝手に取るな」
河合が睨むと、相原は肩をすくめてぺろりと舌を出した。
ふふっ、と、なぜか太田が笑う。
「部長と副部長、ほんと仲良いですね」
「ハルちゃん、それは誤解だからね?」
「で、どうする? ハルちゃんの話、怪談じゃないし不思議が解かれちゃったけど、七不思議に加える?」
「ほかにネタもないし、いんじゃないかな」
「うん。推測だけで結論を作るのは記者としてよくないし、ほかの七不思議と同様、ちゃんと取材もしておこう。五股野郎も混ぜて」
「夏まで、まだ時間ありますからね」
「というわけで、特集の具体的な内容が決まりました。本日は解散!」
翌日の始業前、太田春子がトイレの個室から出ると、河合菜奈が腕組みをして待ち構えていた。
「あっ……」
太田が出たばかりの個室に、河合がズカズカと入っていく。そして、壁の一角に目をとめる。
「ハルちゃんの字、綺麗だからわかりやすいよね」
「…………」
太田はうつむく。
河合はポケットから消しゴムを取り出し、すぐに落書きを消した。
「私と相原、そんなにくっつけたかったの?」
「だって、先輩お二人とも、仲いいじゃないですか。早くくっついていただかないと、見ているこっちが焦れったいんです!」
「男女の仲良しが恋愛とは限らないし、私は外野を楽しませるために恋愛するつもりもないわよ……」
河合は大きく溜息をついた。
「ハルちゃんが昨日の話のあとからソワソワしてたから、もしや、と思って早めに学校来て、尾けさせてもらったの。噂になる前に消せてよかった」
「もしかして部長、相合傘のこと、ちょっとは信じてます?」
「相合傘関係なく、噂になったらいたたまれないってことよ。なにも私たちのために、こんなおまじないでっち上げなくても」
「でっち上げじゃないです。本当ですよ」
河合を見上げた太田が、眼鏡の奥でニヤリとした笑みを見せた。
「だって私、友達に書いてもらって、彼氏、できましたから」
「私と相原とかありえんし。からかわれて今のいい感じの関係崩れたらどうしてくれんのよ。向こうがその気になるわけないじゃん。あいつ校外に彼女いるんだってば。こちとらすでに玉砕済みなのよ」
むくれながら三年の教室に戻ろうとする河合を、呼び止める者があった。
新聞部副部長、隣のクラスの相原浩也だ。
「おはよ。今日はいつにもまして不機嫌そうだな」
「私がいつも不機嫌そうな風評被害」
「あのさ、河合、俺ら高三だから、この夏で部活終わるよな」
「そうよ。夏季号で最後になるから、書きたい記事があったら、今のうちに申請してね」
「申請っつーか、伝えておきたいことがあるんだけど。今日の昼休み、時間ある?」
耳元を赤く染め、照れたような笑みを浮かべて視線を逸らす相原を、河合は目を丸くして、まじまじと見上げた。
「……ひとつ聞いておきたいんだけど」
「な、なに?」
「相合傘に関する最新の噂、聞いたことある?」
「いや、ないけど? なんかあったん? あ、昼は取材?」
「……なんでもない。昼、空いてるよ」
夏休み前に新聞部から発刊された夏季号の特集は、『学校の七不思議』だった。段が増えるという噂の階段の検証や、飛び回る包丁の危険性が真面目に説かれる中、三階女子トイレの相合傘の話は、ただの子供騙しのおまじないとして、ひっそりと書かれていた。記者の名前は、「河合」。
記事の最後にはこう書かれていた。「人の心をおまじないで無理矢理変えたところで、恋は長続きしない。そんな暇があったら、いい記事書けるように己を磨いたほうがよっぽどまし!」
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ホラーを書いてみたかったのですが、一度も書いたことがなかったので無理でしたね……。
明日はおやすみします。
6/20/2023, 6:58:21 AM